Gents

紳士キャラクターのフィギュアを見るとつい欲しくなってしまう。先日も東京の骨董屋でこのおじさん達と出会ってしまった。高さ10cm弱の瀬戸物のソルト&ペッパーセット。店主はアメリカで見つけたと言っていた。

底にはOccupied Japanと書かれている。1940年代後半から50年代前半、アメリカの占領下にあった日本の瀬戸物が数多くアメリカに輸出されていた時代の物だ。ノリタケも代表的なブランドのひとつ。

シガーを口にくわえてユーモラスな雰囲気を漂わすおじさんが二人。こんな飄々としたオヤジになれたらいいな。

やはり左のおじさんがソルトで、右のおじさんがペッパーなのだろう。
やはり左のおじさんがソルトで、右のおじさんがペッパーなのだろう。

Honey

浅草のGUILDという革工房のi phoneケース。ブライドルレザーでカラーはハニー。でもi phoneは裸がいちばんカッコイイのかもしれない。

i phoneを使う前は電波の状況が不安だったが特に不便さは感じていない。私はメールとか電話のヘビーユーザーでは無いのでスイスアーミーナイフ的にi phoneを使っている。電話、カメラ、i pod、電子辞書、ナビゲーション、ネットなどがこれ1台で済む。特に私は辞書のアプリの使用頻度が高い。

バッテリーの問題も慣れと、サブバッテリーで解決できると思うが。

いろいろなスマートフォンが出てきているが、機能だけでなくフィーリングが自分に合っているかどうかが長く使っていく鍵だ。デジタル機器は後からより性能の良い物が出てくるのだから。
いろいろなスマートフォンが出てきているが、機能だけでなくフィーリングが自分に合っているかどうかが長く使っていく鍵だ。デジタル機器は後からより性能の良い物が出てくるのだから。

金継ぎ教室

休日の波乗りの後にいつも立ち寄るカフェがある。自宅近くの「オルネカフェ」だ。海から上がってまっすぐ家に帰るのではなく、暖かい飲み物と甘い物にありつきマッタリと心地よい疲労感に浸りたいから。

私はいつもスパイスミルクティーとブリオッシュをオーダーする。ブリオッシュは温めた上から蜂蜜とナッツがかけてありとてもおいしい。

その「オルネカフェ」で先日金継ぎ教室があり、仕事の合間を抜けて参加した。自己流でエポキシを使った簡単な金継ぎは何度もやっていたが漆を使った金継ぎを是非やってみたかったからだ。

行って見ると7~8人の生徒と美人の先生だった。それぞれ欠けた器を持ち寄り金か銀(錫)で繕った。世界広しといえども割れた器を金や銀で補修し、ましてや全く違う陶片を欠けた箇所に金で継ぎ(呼び継ぎ)そこに新たな美を見い出すなど日本固有の美意識だと思う。

物を大切に使い込むだけでなく、そこに美しさも加わり言うことが無い。

金と銀で繕ったそれぞれの器。銀はかなり器を選ぶと感じた。やはり金の方がオールラウンド。
金と銀で繕ったそれぞれの器。銀はかなり器を選ぶと感じた。やはり金の方がオールラウンド。

巨匠の小屋

世界的建築家ル・コルビュジェは南仏の極小の休暇小屋(キャバノン)でミニマムな暮らしを実践していた。

最近出たカーサブルータスにその休暇小屋が特集されていた。この号には他にもミラノの照明デザインナーのカステリオーニのアトリエや日本の建築家中村好文の住宅、グラフィックの原研哉の書斎など私の好きなクリエイターの収納術が沢山掲載されていてオススメの一冊。

写真の中の小さな本はコルビュジェがスイスのレマン湖畔に両親のために建てた小さな家の小さな本(集文社)、右は中村好文氏が監修している南仏カップマルタンの休暇小屋の特集(TOTO出版)。

物が溢れる現代生活、そこから開放されるミニマムな暮らしのヒントが小屋にある。一つの機能に長けた物の膨大な集積から多機能な物の極小な集積へ。
物が溢れる現代生活、そこから開放されるミニマムな暮らしのヒントが小屋にある。一つの機能に長けた物の膨大な集積から多機能な物の極小な集積へ。

Good Bye

突発的に何かをすることがよくある。根拠や確信があるわけでは無い。思いつきとか、勘が働くとかだ。だから、何で?と聞かれてもいい加減な答えを言うしかない。

何日か前の朝方に夢を見た。それは車を手放す夢だった。そして起きた時に私は、「5年間楽しませてもらったのだからもう手放してもいいかな』と納得の目覚めをしていた。

その日店に出た私は、いつも修理で世話になっている自動車屋さんに手放す相談の電話をかけていた。

ルノー4フルゴネット、1991年製。居なくなるとやはり寂しい。
ルノー4フルゴネット、1991年製。居なくなるとやはり寂しい。

自然と人工の振幅

私は建築は素人だが藤森照信氏の建築を見ていると常に有機的な佇まいを感じる。それは氏が人間というものを判っているからだろうと想像する。つまり人間も自然の一部だと。生身であると。

かつて安藤忠雄氏がテレビで、ハイテクビルの中にずっといると生命力が衰えると話していたことがある。(つまり免疫力もそうだろうと思う。)アメリカなどではそれが判っているからコンクリートの柱を木で囲ったり、グリーンを置いているのだと。

それと共にインテリジェントビルのようなところに住んだり、長時間仕事をしたりする人ほど週末や余暇には自然の中に身を置く必要があると私はずっと感じている。それにより危うい振幅のバランスが取れるのではないかと。

現代人は少しずつ内なる自分のバランス感覚に鈍くなってきている気がしてならない。

焼き杉ハウスやタンポポハウス、にらハウスなど有機的かつユニークな建築で世界的な藤森氏のツリーハウス。木の上の茶室だ。
焼き杉ハウスやタンポポハウス、にらハウスなど有機的かつユニークな建築で世界的な藤森氏のツリーハウス。木の上の茶室だ。

Seaside Houses

若い時からインテリア関係の本が好きで、たまに東京に出かけても必ず洋書店には立ち寄る。欧米のインテリアや建築の洋書は装丁、写真など秀逸なものが多く歴史の差を感じずにはいられない。

家の書棚にもかなりの数の洋書があるにもかかわらず、店には毎月フランス、イタリアの「エルデコ」やアメリカの「dwell」が届く。それらをお客さんのいない朝にパラパラとめくってはイメージの中で遊んでいる。

よくイメージするのは、砂浜に錆びたトタンを使って建てた小屋とか古いレンガのビルのワンフロアをロフトにしたり、岸壁に寄せた船の中をモダンなインテリアにして住んだり。洋書をめくっている束の間、ケープコッド、ニューヨーク,サンフランシスコなどへと誘ってくれる。

近頃は小さな家、小屋がいいなと思っていて、コルビュジェが両親のためにレマン湖畔に建てた小さな家と自分のための南仏の休暇小屋の2軒や藤森照信のツリーハウスなどは傑作だと思う。

1994年のオープン当時から店に置いてある「Seaside Houses」。私の理想とする粗野(ラギッド)な洗練が伝わってくる一冊。
1994年のオープン当時から店に置いてある「Seaside Houses」。私の理想とする粗野(ラギッド)な洗練が伝わってくる一冊。

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