ダイニングテーブル

最近、我が家のダイニングテーブルが変わりました。

 

150✕90cmのオールドパインのこのテーブル、ある方から頂いてしまいました。

 

部屋の雰囲気もガラッと変わりました。毎日が新鮮な気分です。

 

昔、サザビーのオールドパインのダイニングテーブルに憧れていた頃がありましたが、パイン材の柔らかな質感が何とも言えません。

 

大きなダイニングテーブルには家族が自然と集まります。

終活の行方

私は自分の未来に向けてきちんと計画を立てて生きるタイプではなく、その時々にやりたいと思った気持ちを尊重して生きてきた。

60歳を過ぎ「逝き方」を意識する年代となってもそれはあまり変わらない気がします。

 

少し前、飛行機の中で読もうと思い坂本龍一氏が表紙の雑誌「AERA」を何となく買いました。特集は「不安にならない逝き方」でした。

その中で芥川賞作家で僧侶の玄侑宗久氏の寄稿が胸に残りました。

現代に生きる人は先の事を決め過ぎである。細々と計画を立てわからない未来までも想定内に収めようとする傾向にある。地域や家族の感覚が薄れ「死」が個人化してきている。わからないまま進むことも豊かな生き方であろう。など・・

 

子だくさんで、近所にお墓がある私は特に終活はしないと思うが、先日も親しい友とどちらかが先に逝ってしまったら友人代表として弔辞を述べようという話を酒を飲みながらしたばかりだ・・

以前、北野武が「生きることと同じくらい死を考えないとバランスが悪い」と何かで話していた・・

event & book 

趣味が高じてアンティークの店を始めてから随分年月が経ちますが、Horne cafeのユウちゃんから声を掛けてもらい「物語がうまれる antiqueと小物展」に参加させて頂くことになりました。素敵な作家さんたちと一緒に空間をシェアできる事がとても楽しみです。

 

私は基本的に和洋折衷ですので今回も「East meets West」をテーマに出品致します。滅多にある機会ではありませんので是非足をお運び下さい。よろしくお願い致します。

自宅に温存していた品も持ち込もうと画策しています。
真鍮アクセサリー、革小物、織物の作家さん達の作品が集います。
築90年の実家の一部をアンティークの店舗に改装した「DAYS GALLERY」 お袋が店番してます。(白いドアはダークブラウンに塗り替えました)

 

私、60過ぎのオヤジですが、この度「房総コーヒー」の表紙にして頂きました。

発行の暮ラシカルデザイン編集室の沼尻さんは房総のコーヒーシーンには無くてはならない人。

今回の本には、私と安房暮らしの研究所所長の菅野さんの珈琲対談も載せて頂いております。

是非、書店等でお求め頂ければ幸いです。

毎朝、誰もいない時間この席でウォーミングアップがてら淹れた珈琲を飲むのが日課です。

Cape Codへ〜Chathamから終着点Provincetown 

ナンタケット島からハイアニス・ポートに戻り岬の先端に向かう。

 

途中のチャタムという町に一泊し突端にあるプロヴィンスタウンを目指した。

 

チャタムの宿「CHATHAM  TIDES」ではオンザビーチの部屋をとった。ナンタケット島のピアの宿「The Cottages & Lofts」もそうだったが今回はロケーションにこだわった。生涯の想い出となる旅にしたかったから。

どちらの宿も部屋自体はコンパクトだが素晴らしいロケーションが私をラグジュアリーな気分にさせてくれた。

 

若い時から長く憧れ続けてきたケープコッド。

今回その夢が叶い、私は毎日幸せな気分に浸っていた・・

「CHATHAM TIDES」眼の前はすぐビーチという贅沢。隣はNYから来たという年配のカップルだった。
潮騒を聞きながらのコーヒーブレイク。連日、最高の天気に恵まれた旅となった。
夕食をテイクアウトし、ビールを飲みながら皆で暮れゆく空をずっと眺めていた。このシーンこそ私の大好きな写真集JOEL・MEYEROWITZの「CAPE LIGHT」の世界だった。
8✕10の大型カメラで長時間露光撮影したケープコッドの風景に惹かれる。その昔「オン・サンデーズ」で見つけた。
グリーンさんが撮ってくれた家族写真。チャタムのアンティークショップで。
岬の突端の街、プロヴィンスタウンはゲイの聖地みたいなところ。ケープコッドで一番の賑やかさだった。
この旅ではロブスター、オイスター、クラムチャウダーなどいただきました。メニューには時価となっていたロブスターロールは2500〜3000円位と高価だったが行っちゃいました!名産のポテトチップとグリルしたレモンが添えられていた。
ナンタケット島のFAHERTYという洒落た洋服屋で買ったマーケットバッグ。

今回、幸運にもケープコッドとナンタケット島を訪れることが出来、私の旅のテーマ「憧れの検証」は完結してしまった。

もう憧れの場所が無くなった。さあ、これからどうしようかな?

Cape Codへ〜Nantucket島(2)

ナンタケット島はケープコッドのエッセンスがさらに凝縮されたような島だった。

同じ価値観を持つ人々によって長い間、大切に育てられ守られて来たのだろう。

 

その証拠に普段は6000人程の人口がサマーシーズンには10倍になるというが俗化されず洗練された素朴さの雰囲気を保っている。それは品性と良心、美意識に寄る所が大きいと考えられる。ここには濡れ手に粟の商売をする輩は入り込めないだろう。そう感じるオーラがこの島には漂っていた。自由競争型資本主義に毒されないテリトリーなのだ。

カミさんはナンタケット島で鮮やかな赤系パンツをはいていた。霧が多くグレートーンの街並みだから「ナンタケットレッド」という色が在るくらいこの島では赤が映える。私は白のオックスフォード・ボタンダウンを着たくなった。
赤いストライプの灯台が岬の突端に建っていた。シーズンオフで人影もまばらな海岸線、その淋しげな風景が東海岸らしい。
スコンセットの街並は、グレーの外壁に白い窓枠の正にサンドカフェの理想とした小じんまりした低層の家々が並んでいた。ただ地価は凄く高価なのでエスタブリッシュメントが多いのだという。
カミさんがチャンスがあれば欲しいと言っていたナンタケットバスケットをフォークアートのギャリーで見つけた。一つのバスケットを作るのに何ヶ月もかかると聞いていたがとても高価で諦めたのだった。
そのフォークアートのギャリーは欲しいものだらけだった。どの店も小さな看板で控えめだがラルフローレンやパタゴニアなんかのショップも点在する。スーベニールショップにはクジラと灯台がモチーフの雑貨が多かった。この島はかつて捕鯨漁の基地だったから。
アイスクリーム屋も何処もかしこも木っ端葺きの建築様式。グレーの外壁に星条旗が映えるんです。
今回献身的にガイドをしてくれたグリーンさん。何十年ぶりのナンタケット島を私達共々楽しんでいたようだった。
ナンタケット島。今まで私が訪れた中ではベニスと並んで比類なき完璧さのリゾートだった。

Cape Codへ〜Nantucket島(1)

ボストン三日目の夜にグリーンさんと合流。

ノースエンドのイタリア人街にあるレストランをグリーンさんが予約しておいてくれた。

美味しいワイン、プロシュート、パスタなどをいただいた後、近くのカフェでグラッパをキュッと。

それはボストン最後の夜に相応しいディナーだった。

翌朝、グリーンさんがレンタルしてくれたミニヴァンでケープコッドに向けてドライブ。

一時間半ほど南下し大きな橋を渡るとそこは憧れの地。ついにやって来たと思った。

その岬に在る家々はグレーのトーンで統一されていた。杉板が風雨にさらされグレーに経年変化した外壁を持つ。その鱗のように見える木端葺きの外壁と白い窓枠こそニューイングランドスタイルなのである。

 

古くからボストニアンやニューヨーカーの避暑地としてあったケープコッド。

あのJ,F.Kのサマーハウスやヨットハーバーがあった有名なHyannis。そこから高速フェリーに乗り一時間でナンタケット島に到着した。今日はこの夢の島に一泊だ。

ナンタケット島。そこは夢の様なリゾートだった。
「ケープコッドやナンタケット島に行くなら賑わう夏より10月が良い」グリーンさんの言った言葉は本当だった。
ピアには沢山の水上コテージが並んでいる。真ん中が我々の借りたコテージ。シーズンオフのため安く借りられた。
こんな所に住めたらなぁ・・

Cape Codへ〜Boston市内巡り

サンドカフェの裏の林の中に「南房国際村」という外人さん向けの宿泊施設がある。オーナーのD・グリーンさんには娘共々親しくさせて頂いているが、今回憧れのケープコッドに行く事が出来たのはボストン出身のグリーンさんに案内してもらえる事になったから。

 

アラバマに居るお母さんに会いに帰省しているグリーンさんとボストンで落ち合う約束をし、私達はアメリカに旅立った。

 

まずはボストンの中心部に位置する高層アパートメントに滞在して2日間の市内観光を。

37階の部屋からはボストン市内が見渡せる。ボストンはレンガ造りの建物が多い落ち着いた大人の街。チャールズ川では毎朝レガッタやヨットを楽しんでいた。旅行中はウソのような快晴が続いた。
第二次大戦中に開発された水陸両用車を使った「ダックツアー」でザーッと市内観光。川のクルーズはチョット寒かったな。
この絵が見たくて行ったボストン美術館。P・ゴーギャンの『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』人間の命題とも言えるこの絵に釘付けとなった。
ハーバード大学は多くの観光客も訪れる広大な敷地の学園都市。敷地内に在る自然史博物館はオススメです。市内の移動は地下鉄が便利。行き先によってレッドライン、グリーンラインなど色で判別出来る。下りはアウトバウンド、上りはインバウンドという。
今回の旅には息子と末娘が同行した。クインシー・マーケットを散策しウォーターフロントへ。

お休みのお知らせ

10月16日(月)〜24日(火)、サンドカフェ&デッキシューズはお休みさせて頂きます。

ご迷惑をお掛けしますがよろしくお願い致します。

 

還暦イヤーの今年、長年憧れていた場所に行けることになりました。(2015.6.23のブログ参照)

それはサンドカフェの建物のイメージ原点となった所です。

 

帰りましたらブログで報告させて頂きます。

私の旅のモチベーションは、本当「憧れの検証」に尽きますね!

超人・安藤さん

我が家はずっと産経新聞なのですが、「話の肖像画」という各界で活躍している著名人のインタビューコーナーで建築家の安藤忠雄氏(76歳)が特集されていました。

 

2020年の東京五輪・パラリンピックのメーン会場「新国立競技場」設計コンペにおける例のザハ・ハディド氏設計案を仕切り直しすることになった件のコメントもあったのですが、私が感嘆したのは、安藤氏が大病されていた事に関する事でした。

 

数年前、健康診断でガンが見つかり医師から胆のう・胆管・十二指腸を全摘すべきと告げられ手術した後、徐々に仕事に復帰。だが、その又数年後に膵臓と脾臓に再びガンが転移。それも摘出せねばならなくなった時に「これほど内臓が無い人は日本中にいないだろうから、面白いんじゃないかと」そして、次また何に挑戦しようかと考えるうち元気になっていったと。

 

食道ガンから復帰した小澤征爾氏もそうですが、全身全霊を創造に捧げている人の絶えず「希望を見つけ続ける」精神力の凄さ、まさに超人です。

 

「目標を持って生きているうちは青春」と詩人サミュエル・ウルマンの言葉を引用した安藤氏。感動の言葉を頂きました!

好奇心を鍛え、青春を生きて行きたいと語る76歳の超人に感服。その打たれ強さは元ボクサーの証か・・

これが最後の板なのか!?

わたくし、この度60代で乗るロングボードを作りました。

気に入ると長年使い込む性分ゆえ、これが人生最後の板になる可能性があります!?

(もし運良く、60代後半から70代まで波乗りが出来るとするなら巨匠スキップ・フライ氏に習い10

フィートオーバーのビッグボードに乗りたいとは思っております。ハイ!)

 

私が板をオーダーしたのは、千倉のサーフショップ「サザンコースト」。オーナーの鈴木さんとは40年以上前からの長いお付き合い。南房総のロングボードシーンには欠かせない老舗ショップです。

 

そして今回、板を削って頂いたのは同年代のカリスマ「抱井保徳」さん。

60代で乗る板はこの人にお願いしたいと思っていました!

 

サーフィンの世界で、独自の立ち位置とオリジナルな生き方では他に類を見ない抱井さん。

昔、鴨川の赤堤で目撃した抱井さんのライディングのカッコ良かったことが甦ります!

 

今日、初乗りしましたがクラッシックで安定した乗り心地、私にフィットしてくれました!

やはり、間違いなかったですね!

カラーは私の好きなベージュとブルー・グリーンにしました。長さは9,3フィート、テールはスクエアで。
ブリューワーサーフボードの抱井シェープ。当然シングルフィンのクラッシックなバフ仕上げでしょう。

玉置さんのライブ

私も当代随一のヴォーカリストだと思っている玉置浩二さんのライブが地元で聴けると聞いて駆けつけたのは館山の南総文化ホール。

 

カミさんがチケット発売日の朝早くに並んでくれたお陰で席は何と前から6列目と絶好のポジション。

 

持つべきは「旦那に頼らない良妻」ですな!?

 

期待のライブは良い意味で予想を裏切り一切のMC無し。

 

そこがイイ!! ファンは一曲でも多く聴きたいのですから。

 

いつも動画で見ている名演にも全く遜色のない素晴らしい歌声を眼前で聴かせてくれた玉置さん。

 

そして、名バラード「Mr.Lonely」「メロディー」に私は感無量!

長いキャリアでますます喉が磨かれてきた玉置さん。その心震わせる歌声は本物だった。

ジムとビル

ジム・ホールは、ジャズギタリストの中でもどちらかと言えば渋くて内省的なミニマリストの印象ですが、ピアニストのビル・エバンスとデュオを組んだ2枚のアルバムは、けだし名盤だと思いますね。

 

「Intermodulation」と「Undercurrent」の2枚は頻繁にターンテーブルに乗るマイ・フェイバリット。

 

自室でこのアルバムを聴きながら、いつの間にかボーっと物思いに耽っている自分がいます。

頭の中を色んな思いが流れては消えて行きます。

心の底からリラックスするからでしょうか?曲の進行(テンポ)が私の波長とマッチするからでしょうか?

 

それは、気ぜわしく過ぎ去る日々から自分を隔離する時間でもあります。

貴方も、秋の夜長にボーっと物思いに耽けるなんていかがですか?

外から聞こえる虫の声がギターとピアノに混ざります。

新盆休み

今年のお盆は、板橋のお義母さんの新盆ゆえ店をお休みした。

お盆に店を休むのは24年間で初めての事だった。

それは店が新たな段階に入ったとも言える・・

 

カミさんは実家の仏壇の前に立派なお盆飾りを作っていた。

竹を組みホオズキを下げ、団子を丸め煮物も用意した。

きゅうりとナスで馬と牛を作り、馬は先祖が早く帰って来れるように、牛はゆっくり帰るようになんだと子供に説明していた。

 

歩いてすぐの菩提寺に家族みんなで迎え火に行くと提灯を下げた人々が次々にやって来る。

死後の世界を大切にする仏教だが、先祖のお陰で家族や身内が集まれるありがたさを感じる。

板橋の菩提寺にて。この翌日、私と長男は一足早く千倉に帰りオフクロと送り火に。

最後の楽園

葉山から南房総にサーフィンに来ると、カフェに寄ってくれるダンディーな方がいる。

 

先日イーグルスの話になった時、そのダンディー氏から「最近、ラストリゾートって曲にハマってるんですよ!そう「ホテルカリフォルニア」に入っている最後の曲です!」と聞いた。

 

その曲が気になった私は、家に帰ってから久し振りに「ホテルカリフォルニア」のB面に針を落とした。

ピアノに合わせ静かにドン・ヘンリーが歌う7分を超える大作だ。

日本版のLPだが訳詞が書いてなかったのでパソコンで和訳の歌詞を調べたら、真実のメッセージに胸を打たれた。

 

「The Last Resort」(彼女はプロビデンス出身)このプロビデンスは白人移民(清教徒)が初めてアメリカに到着したニューイングランド地方の町の名前だ。白人の心の故郷みたいな所なのだろうか?彼らが来てから先住民族の平和な暮らしや土地は・・

 

今も尚、人種差別のニュースが流れるラストリゾートにドン・ヘンリーはこの曲で別れを告げている。

ロックの名盤の表現としては「ロック史に輝く金字塔」が正しい。ダンディー氏のお陰でドン・ヘンリーの名曲を再認識出来た!

100杯のモヒート

8月5日の土曜日、「千倉サンバフェスタ」が道の駅「潮風王国」で開催され、私もモヒートバーを出店致しました。

 

思えば、早16〜17年になる真夏の「千倉サンバフェスタ」ですが、私が唯一出店するイベントでもあり、沢山のリピーターさんに来て頂くからには少しでも美味しいモヒートを飲んで頂きたいと、気合を入れて望んだのであります。

 

そこで、2017版モヒートのテーマとしましては・・

・「ハーブちくら」さんの無農薬ミントをたっぷり使用する。さらに青シソを加え爽やかさを増す(私の経験ではシソを加えると悪酔いを防ぐ・・但しチャンポンは例外である 笑)

・沖縄のサトウキビから作る粗製糖を煮詰めたシロップを使用。(ラムとの相性も良い)

・ライムはケチらない

・ミントとシソは木の棒(ペストル)で丁寧に潰す。

 

嬉しい事に何回もおかわりしてくれる顔なじみの方々も多く、用意した100個のコップも無くなり、充実感と共に私はシガーを堪能しながらフィナーレの花火を迎えることが出来たのでした。

来年は更に美味しいモヒートを提供したいと思う所存です。2018千倉サンバフェスタでお待ちします!

しかし、ひたすら3時間モヒートを作り続ける私はカクテルロボットと化していました!

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