続・1.23

ここだけの話ですが、1月23日にもう一つメモリアルな出来事が加わったんです。

 

実は、店を手伝っている次女が入籍したんです。

 

そして6月には私にとって二人目の孫が生まれます。

 

もう去年ケープコッドから帰ってからはバタバタでした。

 

突然といえば突然のオメデタ婚ですが、親心としては娘にただ幸せな結婚を願うだけ。

 

知人の女性が二人に良いアドバイスをくれました「お互いを思いやる気持ちさえあれば大丈夫よ!」と・・

 

1.23・・奇しくも私の誕生日、義母の命日そして娘の結婚記念日が重なり合った。

千倉が誇る日本で唯一の料理の神様を祀る「高家(たかべ)神社」で3月に神前式を挙げ、両家の家族でささやかな食事会をやろうと考えています。奇遇ですが新郎も調理師なんです!

1. 23

1月23日、私は61歳になった。

思えばこの一年は私にとって「黄金の60代」のスタートに相応しい一年であった。

 

そして今日は板橋の義母の命日でもある。

親戚の方々にも来て頂き菩提寺で一周忌の法事を行った。

 

私の還暦の誕生日に義母が急逝してから一年が過ぎた。

地味で温厚な義母に私の3人の娘たちは随分とお世話になった。

草花を世話するのが好きで庭にいつも色んな花が咲いていたのが思い出される。

 

私は法事の後で感謝の意味を込めて仏壇に伽羅の線香をあげた。

板橋の実家は便利で明るい今の住宅には無い趣がある。
幽玄、枯淡な伽羅の香り。私は休日の朝に楽しんでいる。

親父の海

親父が亡くなってから早5年ほどになる。

定年後に油絵を始めた親父は、いつも南房総の風景を描いていた。

漁港や灯台、花畑など。

 

年末に線香をあげに実家に行った時に見慣れぬ絵があった。

その絵は典型的な南房総の風景という訳では無く、どこかの海と空のようだった。

太筆でざっくりとしたタッチが親父らしい。

空の光がちょっと印象派の絵のようだった。

 

今まで親父の絵をあまり飾ろうとしなかった私だが「この絵もらうよ」と言ったら、お袋が「あら珍しい!」と驚いた。

お袋が気に入った人に親父の絵を差し上げていたのを知っていたが、偶然これが残っていたという訳。

初夢・・夢旅・・

南半球にサーフトリップした夢を見た・・

 

そこバイロンベイは4年ぶりだったが、波も宿も極上で天国にいるような夢旅なり。

エキゾチックな植栽と広いポーチのコテージ。林の向こうはベロンジルビーチ。
夢旅の間は毎日腰から頭位の良い波に恵まれた。ワテゴービーチは老若男女ロングボーダーのポイント。
ブロークンヘッズにも足を伸ばした。ここはキャンプ場を併設した美しいビーチ。
ボードはオーストラリアのレジェンドシェーパー、ボブ・マクタビッシュのショップで借りた。
隣町「バンガロー」には小さいが洒落たショップが点在する。この町にはメルボルンからも観光客が訪れるという。
人気のHarvest CAFE&Deli。このカフェが核となり周囲にセンスの良いショップが増えてきている。
オーガニックな食材が揃うファーマーズマーケットは毎週木曜日に開かれる。ここでブランチを。
これ天国への階段なり・・

なんか現実と夢の区別がつかなくなってきた!?

黄金願望

お正月から富士山を眺めながらの初波乗り、そして家路に向かう夕暮れの空に見たのはスーパームーン・・

 

とても幸先の良い年の初めとなった2018年ですが、「アナログモノローグ」本年も宜しくお付き合い下さい。

 

さて、今月には61歳となる私ですが、今は亡きカントリージェントルマンT氏が過ごしたという「黄金の60代」を目指し、本年も気を引き締め、日々を大切に生きて行きたいと考えております。(2016年7月15日のブログ参照)

 

どうかよろしくお願い致します。

昨年訪れたケープコッドで見つけたJFKのマグネット。店の冷蔵庫にカミさんがくっつけたが、これを見ると何故かヤル気が沸く!
年末から来ているヒナタ君、もう四歳になりました。家中を駆けまわっているので中々ブログ更新出来ません!笑

ダイニングテーブル

最近、我が家のダイニングテーブルが変わりました。

 

150✕90cmのオールドパインのこのテーブル、ある方から頂いてしまいました。

 

部屋の雰囲気もガラッと変わりました。毎日が新鮮な気分です。

 

昔、サザビーのオールドパインのダイニングテーブルに憧れていた頃がありましたが、パイン材の柔らかな質感が何とも言えません。

 

大きなダイニングテーブルには家族が自然と集まります。

終活の行方

私は自分の未来に向けてきちんと計画を立てて生きるタイプではなく、その時々にやりたいと思った気持ちを尊重して生きてきた。

60歳を過ぎ「逝き方」を意識する年代となってもそれはあまり変わらない気がします。

 

少し前、飛行機の中で読もうと思い坂本龍一氏が表紙の雑誌「AERA」を何となく買いました。特集は「不安にならない逝き方」でした。

その中で芥川賞作家で僧侶の玄侑宗久氏の寄稿が胸に残りました。

現代に生きる人は先の事を決め過ぎである。細々と計画を立てわからない未来までも想定内に収めようとする傾向にある。地域や家族の感覚が薄れ「死」が個人化してきている。わからないまま進むことも豊かな生き方であろう。など・・

 

子だくさんで、近所にお墓がある私は特に終活はしないと思うが、先日も親しい友とどちらかが先に逝ってしまったら友人代表として弔辞を述べようという話を酒を飲みながらしたばかりだ・・

以前、北野武が「生きることと同じくらい死を考えないとバランスが悪い」と何かで話していた・・

event & book 

趣味が高じてアンティークの店を始めてから随分年月が経ちますが、Horne cafeのユウちゃんから声を掛けてもらい「物語がうまれる antiqueと小物展」に参加させて頂くことになりました。素敵な作家さんたちと一緒に空間をシェアできる事がとても楽しみです。

 

私は基本的に和洋折衷ですので今回も「East meets West」をテーマに出品致します。滅多にある機会ではありませんので是非足をお運び下さい。よろしくお願い致します。

自宅に温存していた品も持ち込もうと画策しています。
真鍮アクセサリー、革小物、織物の作家さん達の作品が集います。
築90年の実家の一部をアンティークの店舗に改装した「DAYS GALLERY」 お袋が店番してます。(白いドアはダークブラウンに塗り替えました)

 

私、60過ぎのオヤジですが、この度「房総コーヒー」の表紙にして頂きました。

発行の暮ラシカルデザイン編集室の沼尻さんは房総のコーヒーシーンには無くてはならない人。

今回の本には、私と安房暮らしの研究所所長の菅野さんの珈琲対談も載せて頂いております。

是非、書店等でお求め頂ければ幸いです。

毎朝、誰もいない時間この席でウォーミングアップがてら淹れた珈琲を飲むのが日課です。

Cape Codへ〜Chathamから終着点Provincetown 

ナンタケット島からハイアニス・ポートに戻り岬の先端に向かう。

 

途中のチャタムという町に一泊し突端にあるプロヴィンスタウンを目指した。

 

チャタムの宿「CHATHAM  TIDES」ではオンザビーチの部屋をとった。ナンタケット島のピアの宿「The Cottages & Lofts」もそうだったが今回はロケーションにこだわった。生涯の想い出となる旅にしたかったから。

どちらの宿も部屋自体はコンパクトだが素晴らしいロケーションが私をラグジュアリーな気分にさせてくれた。

 

若い時から長く憧れ続けてきたケープコッド。

今回その夢が叶い、私は毎日幸せな気分に浸っていた・・

「CHATHAM TIDES」眼の前はすぐビーチという贅沢。隣はNYから来たという年配のカップルだった。
潮騒を聞きながらのコーヒーブレイク。連日、最高の天気に恵まれた旅となった。
夕食をテイクアウトし、ビールを飲みながら皆で暮れゆく空をずっと眺めていた。このシーンこそ私の大好きな写真集JOEL・MEYEROWITZの「CAPE LIGHT」の世界だった。
8✕10の大型カメラで長時間露光撮影したケープコッドの風景に惹かれる。その昔「オン・サンデーズ」で見つけた。
グリーンさんが撮ってくれた家族写真。チャタムのアンティークショップで。
岬の突端の街、プロヴィンスタウンはゲイの聖地みたいなところ。ケープコッドで一番の賑やかさだった。
この旅ではロブスター、オイスター、クラムチャウダーなどいただきました。メニューには時価となっていたロブスターロールは2500〜3000円位と高価だったが行っちゃいました!名産のポテトチップとグリルしたレモンが添えられていた。
ナンタケット島のFAHERTYという洒落た洋服屋で買ったマーケットバッグ。

今回、幸運にもケープコッドとナンタケット島を訪れることが出来、私の旅のテーマ「憧れの検証」は完結してしまった。

もう憧れの場所が無くなった。さあ、これからどうしようかな?

Cape Codへ〜Nantucket島(2)

ナンタケット島はケープコッドのエッセンスがさらに凝縮されたような島だった。

同じ価値観を持つ人々によって長い間、大切に育てられ守られて来たのだろう。

 

その証拠に普段は6000人程の人口がサマーシーズンには10倍になるというが俗化されず洗練された素朴さの雰囲気を保っている。それは品性と良心、美意識に寄る所が大きいと考えられる。ここには濡れ手に粟の商売をする輩は入り込めないだろう。そう感じるオーラがこの島には漂っていた。自由競争型資本主義に毒されないテリトリーなのだ。

カミさんはナンタケット島で鮮やかな赤系パンツをはいていた。霧が多くグレートーンの街並みだから「ナンタケットレッド」という色が在るくらいこの島では赤が映える。私は白のオックスフォード・ボタンダウンを着たくなった。
赤いストライプの灯台が岬の突端に建っていた。シーズンオフで人影もまばらな海岸線、その淋しげな風景が東海岸らしい。
スコンセットの街並は、グレーの外壁に白い窓枠の正にサンドカフェの理想とした小じんまりした低層の家々が並んでいた。ただ地価は凄く高価なのでエスタブリッシュメントが多いのだという。
カミさんがチャンスがあれば欲しいと言っていたナンタケットバスケットをフォークアートのギャリーで見つけた。一つのバスケットを作るのに何ヶ月もかかると聞いていたがとても高価で諦めたのだった。
そのフォークアートのギャリーは欲しいものだらけだった。どの店も小さな看板で控えめだがラルフローレンやパタゴニアなんかのショップも点在する。スーベニールショップにはクジラと灯台がモチーフの雑貨が多かった。この島はかつて捕鯨漁の基地だったから。
アイスクリーム屋も何処もかしこも木っ端葺きの建築様式。グレーの外壁に星条旗が映えるんです。
今回献身的にガイドをしてくれたグリーンさん。何十年ぶりのナンタケット島を私達共々楽しんでいたようだった。
ナンタケット島。今まで私が訪れた中ではベニスと並んで比類なき完璧さのリゾートだった。

Cape Codへ〜Nantucket島(1)

ボストン三日目の夜にグリーンさんと合流。

ノースエンドのイタリア人街にあるレストランをグリーンさんが予約しておいてくれた。

美味しいワイン、プロシュート、パスタなどをいただいた後、近くのカフェでグラッパをキュッと。

それはボストン最後の夜に相応しいディナーだった。

翌朝、グリーンさんがレンタルしてくれたミニヴァンでケープコッドに向けてドライブ。

一時間半ほど南下し大きな橋を渡るとそこは憧れの地。ついにやって来たと思った。

その岬に在る家々はグレーのトーンで統一されていた。杉板が風雨にさらされグレーに経年変化した外壁を持つ。その鱗のように見える木端葺きの外壁と白い窓枠こそニューイングランドスタイルなのである。

 

古くからボストニアンやニューヨーカーの避暑地としてあったケープコッド。

あのJ,F.Kのサマーハウスやヨットハーバーがあった有名なHyannis。そこから高速フェリーに乗り一時間でナンタケット島に到着した。今日はこの夢の島に一泊だ。

ナンタケット島。そこは夢の様なリゾートだった。
「ケープコッドやナンタケット島に行くなら賑わう夏より10月が良い」グリーンさんの言った言葉は本当だった。
ピアには沢山の水上コテージが並んでいる。真ん中が我々の借りたコテージ。シーズンオフのため安く借りられた。
こんな所に住めたらなぁ・・

Cape Codへ〜Boston市内巡り

サンドカフェの裏の林の中に「南房国際村」という外人さん向けの宿泊施設がある。オーナーのD・グリーンさんには娘共々親しくさせて頂いているが、今回憧れのケープコッドに行く事が出来たのはボストン出身のグリーンさんに案内してもらえる事になったから。

 

アラバマに居るお母さんに会いに帰省しているグリーンさんとボストンで落ち合う約束をし、私達はアメリカに旅立った。

 

まずはボストンの中心部に位置する高層アパートメントに滞在して2日間の市内観光を。

37階の部屋からはボストン市内が見渡せる。ボストンはレンガ造りの建物が多い落ち着いた大人の街。チャールズ川では毎朝レガッタやヨットを楽しんでいた。旅行中はウソのような快晴が続いた。
第二次大戦中に開発された水陸両用車を使った「ダックツアー」でザーッと市内観光。川のクルーズはチョット寒かったな。
この絵が見たくて行ったボストン美術館。P・ゴーギャンの『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』人間の命題とも言えるこの絵に釘付けとなった。
ハーバード大学は多くの観光客も訪れる広大な敷地の学園都市。敷地内に在る自然史博物館はオススメです。市内の移動は地下鉄が便利。行き先によってレッドライン、グリーンラインなど色で判別出来る。下りはアウトバウンド、上りはインバウンドという。
今回の旅には息子と末娘が同行した。クインシー・マーケットを散策しウォーターフロントへ。

お休みのお知らせ

10月16日(月)〜24日(火)、サンドカフェ&デッキシューズはお休みさせて頂きます。

ご迷惑をお掛けしますがよろしくお願い致します。

 

還暦イヤーの今年、長年憧れていた場所に行けることになりました。(2015.6.23のブログ参照)

それはサンドカフェの建物のイメージ原点となった所です。

 

帰りましたらブログで報告させて頂きます。

私の旅のモチベーションは、本当「憧れの検証」に尽きますね!

超人・安藤さん

我が家はずっと産経新聞なのですが、「話の肖像画」という各界で活躍している著名人のインタビューコーナーで建築家の安藤忠雄氏(76歳)が特集されていました。

 

2020年の東京五輪・パラリンピックのメーン会場「新国立競技場」設計コンペにおける例のザハ・ハディド氏設計案を仕切り直しすることになった件のコメントもあったのですが、私が感嘆したのは、安藤氏が大病されていた事に関する事でした。

 

数年前、健康診断でガンが見つかり医師から胆のう・胆管・十二指腸を全摘すべきと告げられ手術した後、徐々に仕事に復帰。だが、その又数年後に膵臓と脾臓に再びガンが転移。それも摘出せねばならなくなった時に「これほど内臓が無い人は日本中にいないだろうから、面白いんじゃないかと」そして、次また何に挑戦しようかと考えるうち元気になっていったと。

 

食道ガンから復帰した小澤征爾氏もそうですが、全身全霊を創造に捧げている人の絶えず「希望を見つけ続ける」精神力の凄さ、まさに超人です。

 

「目標を持って生きているうちは青春」と詩人サミュエル・ウルマンの言葉を引用した安藤氏。感動の言葉を頂きました!

好奇心を鍛え、青春を生きて行きたいと語る76歳の超人に感服。その打たれ強さは元ボクサーの証か・・

これが最後の板なのか!?

わたくし、この度60代で乗るロングボードを作りました。

気に入ると長年使い込む性分ゆえ、これが人生最後の板になる可能性があります!?

(もし運良く、60代後半から70代まで波乗りが出来るとするなら巨匠スキップ・フライ氏に習い10

フィートオーバーのビッグボードに乗りたいとは思っております。ハイ!)

 

私が板をオーダーしたのは、千倉のサーフショップ「サザンコースト」。オーナーの鈴木さんとは40年以上前からの長いお付き合い。南房総のロングボードシーンには欠かせない老舗ショップです。

 

そして今回、板を削って頂いたのは同年代のカリスマ「抱井保徳」さん。

60代で乗る板はこの人にお願いしたいと思っていました!

 

サーフィンの世界で、独自の立ち位置とオリジナルな生き方では他に類を見ない抱井さん。

昔、鴨川の赤堤で目撃した抱井さんのライディングのカッコ良かったことが甦ります!

 

今日、初乗りしましたがクラッシックで安定した乗り心地、私にフィットしてくれました!

やはり、間違いなかったですね!

カラーは私の好きなベージュとブルー・グリーンにしました。長さは9,3フィート、テールはスクエアで。
ブリューワーサーフボードの抱井シェープ。当然シングルフィンのクラッシックなバフ仕上げでしょう。

ページ冒頭へ戻る