ヘミングウェイ探し

ヘミングウェイは61歳で亡くなる前年まで約20年の長きに渡りキューバを愛し、暮らした。海を舞台とした名作「老人と海」や「海流の中の島々」などはキューバ時代に書かれた。

私には、サンドカフェのイメージの原点でもある「老人と海」が生まれた場所を訪れたいという長年の渇望があった。それは作家が暮らした家「フィンカ・ビヒア(眺望楼)」でその暮らしぶりに触れること、舞台となった漁村(コヒマル)の光景を体験することであった。

そして、今回その望みがかなった。

私の旅のモチベーションは「憧れの検証」が多くを占める。(つづく)

ハバナ郊外の広く小高い農園の中、眩しい木々の緑に囲まれ白亜の邸宅「フィンカ・ビヒア」はある。猫ならぬ2匹の犬が迎えてくれた。ヨーロッパからの旅行者も大勢来ていた。裏庭に愛艇「ピラール号」も展示されている。
ハバナ郊外の広く小高い農園の中、眩しい木々の緑に囲まれ白亜の邸宅「フィンカ・ビヒア」はある。猫ならぬ2匹の犬が迎えてくれた。ヨーロッパからの旅行者も大勢来ていた。裏庭に愛艇「ピラール号」も展示されている。
「フィンカ・ビヒア」のリビングルーム。パパが暮らしていたそのままに保存されている。奥の部屋から彼が出てきそうな錯覚を覚える。
「フィンカ・ビヒア」のリビングルーム。パパが暮らしていたそのままに保存されている。奥の部屋から彼が出てきそうな錯覚を覚える。
自邸から程近い小さな漁村「コヒマル」。この入り江に「ピラール号」を係留し、執筆の合間にカジキ釣りに出かけた。穏やかな時間が流れるひなびた漁村の光景をきっと巨匠も愛したのだろう。
自邸から程近い小さな漁村「コヒマル」。この入り江に「ピラール号」を係留し、執筆の合間にカジキ釣りに出かけた。穏やかな時間が流れるひなびた漁村の光景をきっと巨匠も愛したのだろう。
「老人と海」の舞台となったコヒマルの漁師たちがパパをリスペクトし自費で建てたという銅像。
「老人と海」の舞台となったコヒマルの漁師たちがパパをリスペクトし自費で建てたという銅像。
パパが贔屓にしたコヒマルのバー「ラ・テラーサ」。ブルーダイキリを飲みながらのランチだった。
パパが贔屓にしたコヒマルのバー「ラ・テラーサ」。ブルーダイキリを飲みながらのランチだった。

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