17年振りに車が変わった。
「コミさん、車の色塗り替えたんですね!」と言われますが、違います!同じ車種ですが別の車です。
でも無理もありません、それだけ長ーく乗ってましたから。
結局、このワンボックスが自分の生活に一番合っているのかも知れない。なぜならロングボードがスッポリ収まり、冬場は車高があるので中で着替えが出来、それに大きめのアンティークの家具の運搬にも使えるし。
ステータスもカッコよさも無く経済性に秀でている訳でもない言わば「名も無き車」。再び、これから長ーく使い込んでいきます。


17年振りに車が変わった。
「コミさん、車の色塗り替えたんですね!」と言われますが、違います!同じ車種ですが別の車です。
でも無理もありません、それだけ長ーく乗ってましたから。
結局、このワンボックスが自分の生活に一番合っているのかも知れない。なぜならロングボードがスッポリ収まり、冬場は車高があるので中で着替えが出来、それに大きめのアンティークの家具の運搬にも使えるし。
ステータスもカッコよさも無く経済性に秀でている訳でもない言わば「名も無き車」。再び、これから長ーく使い込んでいきます。


今年の夏、ホームポイントの千倉では一回も波乗りが出来なかった。
波乗りを始めてから37年、過去こんな夏は無かったはず!
地形が悪いまま、ひと夏過ぎてしまった。(岸まで深くなっているため波が崩れない状態)
毎年、海水浴場との境にあるブイに砂が着く。そこでブレイクするレギュラーの波が好きだったのだが・・
もちろん人混みを避け、他のポイントでやりましたが・・・これも自然が相手故の宿命だ。
ところで、この写真はブルース・ウェーバーが撮ったモントークでのワンショット。
サーファーはハービー・フレッチャー。寄り添うレトリーバーはブルースの愛犬だろうか?
遠くにブルースのサマーハウスが見える。
我が家にある数少ないサーフィンの写真だ。
なぜか気に入っている一枚・・

東京で二日間、遅い夏休みを過ごしました。
まずは一周年を迎えた西池袋のカジュアルフレンチ「シュバル デュ ヒョータン」でランチを。夏野菜のテリーヌの美しく美味しかった事!川副夫妻のセンスと努力に刺激を受けました。
夕方にはジブリの「風立ちぬ」を観た。今回の映画は大人向けでテーマが何層にも絡み合っていた。純粋故の残酷さ、戦争や震災といったカタストロフィに飲み込まれていく人の運命、夢を実現することと失うことのバランスシート。
もう一つ私にはジブリの映画でいつも感動する要因があって、懐かしい日本の田舎の風景や町並み、暮らしぶりといった背景の描写が実に丁寧で心に染みることだ。
翌日は丸の内の「KITTE」へ。目的は以前ブログで書いた「インターメディアテク」だ。東大所蔵の膨大な骨格標本や剥製、宇宙資料などが2~3Fの広いフロアにアーティスティックに展示されている。まるで「我々はどこから来てどこへ行くのか」をテーマにしたラビリンスのように。
これ無料でイインデスカ?まあ海外には無料のミュージアムが多いですが・・
その後KITTEで昼食をし丸ビル、新丸ビルとはしご。充実した二日を過ごせた遅い夏休みだった。


自宅を建て早30年になろうとしている。
リビングのフローリングもあちこちギシギシ言っているし、外壁も前回塗装してから15年は経っているのでそろそろという感じで頭が痛い。
今度リフォームするなら是非作りたいのが黒い本棚だ。
いえいえ床暖房やオール電化じゃありません!黒い本棚を作りたいのです。
そんな理想にピッタリな本棚がエルデコ8月号にありました。デンマークのカントリーホテルです。
半ツヤのブラックで塗られ厚手の材木で構成された本棚は私の理想とするところ。
いつの間にか増えてしまったインテリアやアートの洋書をこんなラスティックで渋い本棚に納め、それらを鑑賞しながら酒を飲んでみたい(笑)

You Tubeでサーフィンの動画を見ていたら聞き覚えのある歌が流れてきた。
枯れた声、どこかブルージーでレイドバック感がプンプン漂っていた。
JJだった。いやJack Johnsonは私の体に染みらない、JJ Caleだ。
70年代にリリースされたアルバム「NATURALLY」からの曲だった。
しばらく忘れていたが久しぶりに「magnolla」や「crying eyes」「after midnight」「crazy mama」などを聴いた。
あの頃から海にいて、今も波間に漂っているオールドタイマー達よ、JJケイルやニール・ヤングを聴き続けていて欲しい。

仕事も終わった夕暮れ時、私は珍しくビーチに立っていた。
四十代の頃は、店を閉めてから一ラウンドの波乗りを良くやった。もちろん波が良さそうな時を狙い朝一のサーフィンも。
五十を超えてからは仕事中疲れが出るので、休日以外のサーフィンはトンとやらなくなってしまった。
薄暗くなったビーチには泳いでいる者など誰も居ない。サーファーも皆上がってしまったようだ。
店から直接来たのでサーフボードは積んでいなかったが、その時は海に浸かれればそれで良かった。
体ひとつで波間に漂う。サーフボードが無い事がこんなにも心許ないものか。だが時折やってくる波に少年の頃の夏を想い出しボディサーフィンを幾度か試みた。
二十分ほど海に漂い岸に上がるとあたりはすっかり暗くなっていた。
今度は満月の時に泳ごうかな?

もし、私が運良く長生きしてジジイになれるなら理想の二人がいる。
残念ながら二人とも今は居ないが。
一人目は以前ブログでも書いた日本の「笠 智衆」、二人目はフランスの歌手「Henri Salvador」。
二人の共通点は、ゆったりとキレイに老いたと言うことだ。パナマ帽とステッキが似合う風貌も一緒だ。笠爺さんは着物にパナマとステッキが、アンリ爺さんはリネンのスーツにそれが。
二人共、今の慌しい時間軸からすればワンテンポ、いやツーテンポ以上のズレがある緩慢さ(ユルさ)を感じさせるジジイだが逆にそれが私を魅了する。
このアンリ・サルバドールの歌は「毎日が日曜日」だと錯覚を起こしかねないユルーい楽園シャンソンだ。

先週、波乗り仲間の夫婦三組で御宿に一泊二日のショートトリップをしました。
何故か6人中4人は酉年と言うメンバー。もちろん私だけひと回り年長ですが・・
海水浴シーズン間近の御宿の町は準備に忙しい様子だったが、ビーチは平日ということもあり人もまばらでノンビリした雰囲気。
我々が宿泊したのは港に近いビーチフロントのホテル「sayan terrace」。サーファー向けのプラン・設備も整いカジュアルで清潔、居心地の良いホテルです。
天気も良く、綺麗な海でゆっくり羽を伸ばしてきました。
シーズンオフを狙ってまた来てしまいそうです。




十代後半から二十代にかけて日本の田舎的風土、風習、人間関係に重さや暗さ、湿気を感じそれらから逃れたいと思っていた時期があった。
その反動として軽くなりたい、乾きたいからと、サーファーになったのは必然だった。
なので当然「つげ義春」の様な漫画には接近したくなかった。
先日、ランチタイムにN氏と会話をしていた時ふと「つげ義春」を読んでみたくなった。ホント何の気なしに。そしてN氏はすぐに厚い作品集を2冊貸してくれた。
今更ながらじっくり読んだつげワールド。「ねじ式」「紅い花」「やなぎ屋主人」などシュールでどこか懐かしい心象風景や闇を感じさせる。淫靡さも。
あの頃近づきたくなかった「つげ義春」の描く世界が、実は自分の中の深く暗い井戸から汲み上げた水のようなものだったんだと知った。


今回の鎌倉巡りは、フェリーで久里浜に着いてから直行した葉山の「sunshine+cloud」からスタートした。
大きくなって移転した「sunshine+cloud」では営業時間を過ぎてしまったにも拘らずスタッフの皆さんが笑顔で迎えてくれた。こちらでカミさんは靴とTシャツを購入。
材木座のMIKAMIさん宅でモヒートをご馳走になってから近所の帰国子女の方がやっている無国籍居酒屋「満」へ。当日はお祭りという事で賑やかな店内で楽しく飲みながら美味しい料理をいただいた。
そして鎌倉の夜の〆は、私のたっての希望でバー「THE BANK」へ。ここへは長年来たいと思っていた。
古い石造りの銀行をバーに改装した店内は狭いながらもオーナーの研ぎ澄まされた美意識が漂う異空間。オーナーとは渡邊かをる氏、伝説のアートディレクターだ。私はこの方のセンスが大好きである。渡邊さんは「男がバーで飲む酒はジンやスコッチである」と宣う。その仰せに従いMIKAMIさんはギムレットからラフロイグに、私もマティーニからラガヴァリンと杯を重ねた。
翌朝、我々四人はMIKAMIさんのフィアット500に乗り七里ガ浜の有名店「bills」であの世界一の朝食を。ここのリコッタ・パンケーキは噂に違わず絶品だった。
その後、MIKAMI夫妻と楽しくショップをいろいろと徘徊した。話題の複合レストラン「GARDEN HOUSE」、ジャム屋さんや鎌倉山の民芸店「もやい工芸」と怪しげな「苔丸」などを案内して頂き、最後に一息入れようと由比ガ浜の「Daisy’s Cafe」に。
70年代のシンガーソングライターの曲が流れているような懐かしいアメリカンな店内はカミさんの好みにどストライク。コーヒーも美味しかったが名物のジャスミンライスは癖になる味付だった。
MIKAMIさんのフィアット500に大の大人が四人乗り、屋根と窓全開で鎌倉の狭い道をキュッキュッと走っていると、どんな高級車より注目の的であった。
MIKAMI夫妻ありがとうございました。迷惑でしょうがまた伺いますね。
鎌倉という町が近しい存在になった有意義な小旅行だった。


不思議と自分の趣味・嗜好と重なる鎌倉のMIKAMIさん。
だから冗談で「前世は兄弟だったかも?」なんてカミさんに言っていた。
五十路を向かえ、海の近くでスローに暮らしたいと語っていたMIKAMI夫妻。
鎌倉に移住する前は、南房総に週末住宅を借り二年間通っていた。そして、その時知り合ったMIKAMI夫妻のご自宅を今回訪問出来たのは「サンドカフェ」のお蔭に他ならない。
東京時代は沢山の物に囲まれていたらしいが鎌倉暮らしを始めるに際し、それらを相当整理したと聞いた。本、服、生活雑貨などなど。
本当に好きなものだけに囲まれたシンプルな暮らしが海辺には似つかわしいのだろう。

