坂の上のマスター

月に1〜2度、カミさんの実家に行きます。

東京で働いている三女の顔を見に行くのが目的ですが、最近もう一つ目的が増えました。

 

それは、実家から車ですぐの所にある自家焙煎珈琲店です。

カミさんの友達の石ちゃんに連れて行ってもらってからは、板橋に行った時には必ず寄るようになりました。

 

何がイイって珈琲が美味しいのは勿論ですが、初老のマスターの仕事ぶりが私の理想形なんです。

初めてのお客さんにも緊張させない柔らかな物腰、そして丁寧な所作の中に覗く実直な職人としての真摯な姿勢。

 

まだまだ私には精進が必要な様です。

坂の上にあるカフェに近づくと何とも香ばしい珈琲豆の香りに誘われる。

色褪せず

古びた話で申し訳ないけれど、高校生の時は美術部だった。

 

何年生の時だったか近隣の山中のお寺で夏の合宿があった。

 

そのお寺での夜、満天の星空を眺めながら皆でラジカセを聴いていた。

 

今は亡き和弘君が持ち込んだ「クリムゾン・キングの宮殿」のカセットテープ。

 

彼は「ムーンチャイルド」という曲からインスピレーションを得て同じタイトルの油絵を完成させた。

 

凄い感性だとその絵を見て思った。

 

あれから長い年月が流れたが、今聴いても「クリムゾン・キングの宮殿」の凄さは少しも色褪せてなどいないし彼の思い出とシンクロする。

当時プログレッシブ・ロックはイギリスの独壇場だった。ピンクフロイド、イエス、EL&P、中でもキング・クリムゾンのアルバムはそのLPジャケットの強烈さも相まって印象的だ。
一曲目の「21世紀の精神異常者」から始まるクラッシックの組曲形式のアルバムは、今という時代を予言していたかのよう。1969年ビートルズの「アビーロード」を抜いて全英1位になった伝説のアルバム。

移動式住箱

新潟二日目、私は信彦と直彦に無理を言い、前から気になっていた燕三条にあるアウトドアブランド「スノーピーク」の本社(ヘッドクォーター)に行ってもらった。

 

田舎道をクネクネ進むと忽然とコンクリート打ちっぱなしの建築物が現れた。

それを見た信彦が「グーグルの本社もこんなようだ」と言った。

 

確かに、自然に囲まれた中で仕事をするに相応しい業態であるが、ここまで徹底していると羨ましくもある。

オフィスの隣はショップ、裏には広々したキャンプ場が併設されていた。

元は牧場だったらしい広大な敷地に建つヘッドクォーター。
遠くにキャンプ場の管理棟が見える。ショップでは薪なども販売している。

ここで気になったのがズラッと並んでいた四角い箱のようなトレーラーハウスだ。

スタッフさんに聞いたら隈研吾のデザインで「ジュウバコ」という名のモバイルハウスだった。

コンパネで出来たローテックな外観が興味をソソる。
壁面を開けるとデッキや玄関になるユニークな現代人の移動式住箱。
ズラッと並んだこのトレーラーハウス(普通車で牽引可)販売もしているようです。

天気にも恵まれ、美味しく楽しかった新潟の旅でした。

新潟へ

「蕎麦と寿司を食べに来ないか?」

信彦からの抗し難い誘いに六年振りとなる新潟にいそいそと出かけた私。

 

群馬の直彦(なぜか私の数少ない大学時代の友人は今回欠席した山梨の敏彦を加え三人とも名前に彦が付く)とも越後湯沢で落ち合い信彦の車でいざ新潟周遊へ。

十日町の人里離れた信彦おすすめの店で「へぎ蕎麦」を。
初めて食べた「へぎ蕎麦」は、布海苔つなぎでノド越しが良く旨い!

その後、柏崎刈羽原発を横目に海岸をひた走り巻町の角田浜に。

ここは信彦経営の「海の家」と彼が管理している松林の中のキャンプ場がある。信彦は観光協会長であった。

私が勝手に日本のノルマンディーと呼ぶ「角田浜」。私の行く所、必ず好天に恵まれる!?
佐渡を眺めながら海の家でビールを飲みマッタリした後、今日の宿がある新潟市内に向かった。
夜は、ご夫婦で寿司屋を30年続けられている新潟市内の「大屋」さんで一杯。雰囲気はカジュアルだが仕事は一流とはここの事。地酒も旨かった!また行きたいな。
〆にアイリッシュパブでウイスキーを飲み干しフラフラと宿を目指し萬代橋を渡る。 新潟の夜は更けゆく・・

信彦、来年も行くから!(笑)

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