孫のヒナタ君のパパは成田空港で働いています。
その成田の隣町の酒々井に長女一家が新居を建てたと云うので家族見学ツアーに行ってきました。
小さな箱型の家は、自分たちで気に入ったハウスメーカーを探して建てたものでした。
建築やインテリアにやかましい私の意見も聞かないで(笑)
小さいながらも自分たちのベースが出来たんだから、これから日々を充実させていって欲しいな!


孫のヒナタ君のパパは成田空港で働いています。
その成田の隣町の酒々井に長女一家が新居を建てたと云うので家族見学ツアーに行ってきました。
小さな箱型の家は、自分たちで気に入ったハウスメーカーを探して建てたものでした。
建築やインテリアにやかましい私の意見も聞かないで(笑)
小さいながらも自分たちのベースが出来たんだから、これから日々を充実させていって欲しいな!


朝のサンドカフェに来た方ならこの婆ちゃんに会った事があるのでは・・
85歳になる私のオフクロです。
雨の日も 風の日も、1km程離れた自宅から自転車を漕いでやってきます。
毎朝、カフェの周囲の草を取ったり、窓ガラスを磨いたり、フロアを掃いたりルーティンをこなします。
そして私の淹れた珈琲を飲んでから家に帰ります。
自宅では「デイズギャラリー」の店番をしながらサンドカフェなどの経理事務をしてくれます。
ソロバンを弾きながら・・ホント!スーパーな婆ちゃん。


私の店に藤田嗣治の使っていたコーヒーミルを置いていった人の名は確か「ニシヤマ」さんと言う日本画家だった。
千倉に数年間暮らしていたその方は、昔パリで画家の親父さんが藤田嗣治からもらったというコーヒーミルを私に預けていった。
それは、何気なく私がプジョーの古いコーヒーミルを好きだと話したからだった。
当時「ニシヤマ」さんは、毎日そのミルで珈琲豆を挽いていると話していたが、自分が愛用している貴重な品をいとも簡単に手放してしまうとは芸術の都パリに遊んだボヘミアン「藤田」のスピリッツと被ってしまう。
小さな店だが長年やっていると小さな奇跡に遭遇することがある。


セレンディピティ(serendipity)とは、素敵な偶然に出会ったり、予想外のものを発見すること。また、何かを探しているときに、探しているものとは別の価値があるものを偶然見つけること。平たく言うと、ふとした偶然をきっかけに、幸運をつかみ取ることである。(wikipediaより)
好きな言葉です!
でも、それは探すと見つからず不意に訪れるモノのような気がします・・
お騒がせ台風が通過した火曜日、いつものポイントに行く筈だった私は何気に小さな湾のブレイクが視界に入り引き返した。(旅先でも無い限り車をUターンすることなどしない私だが・・)
ビーチに車を止め、そのブレイクをチェックしていると急に南西風が激しく吹き始めた。
これじゃいつものポイントの波は台無しだ。私は今日はここしか無いと直感した。
セレンディピティ・・普段は絶対波など立たないここでサーフ出来たことをその言葉に重ねた。

お盆の忙しさを終えてから夏バテ気味の私です。
気がつけば、このブログ「アナログ モノローグ」もいつの間にか7年経ちました。
初期のブログは簡潔な文体、それに比べ最近のブログは説明的でクドくなってきたかな?と自省。
時々初心に帰ることがモチベーションを維持することに繋がる気がする。
ところで、いつもの様にアッという間に晩夏になってしまった私の2016年、夏。
でも好きなんだな、夏の終わり・・




夏の忙しさのピークです。
なかなかブログ更新できない日々です。
そして、海からも遠ざかっている私です。
そんな夏ですが、お客様には沢山来て頂き嬉しい限りです。
毎年、夏になると見覚えのある方々がいらっしゃいます。
あっ、もう一年経ったのだと実感すると共に、その方々のライフスタイルにサンドカフェやデッキシューズを取り込んで頂いている嬉しさが私のモチベーションであります。



暑中お見舞い申し上げます。
思ったほど暑くない気がする今年の夏。
皆さん、いかがお過ごしですか。
私の近況は、





孫のヒナタくんも3回目の夏を迎えました。
いずれ小学生になり、長い夏休みに一人で千倉に来ることもあるでしょう。
そんな時を今から妄想しています。
セミやカブトムシの昆虫採集、海水浴や磯遊び、釣りとなればジイさんの出番。
今からシュミレーションに余念がありません(笑)。
デジタル機器には幼い時から接する機会の多い今の世の中ですが、自然を相手に遊ぶ時間も同じ位のバランスでやらせたいものです。


ある日、T氏の奥様から届いた一通の封書。
その中の手紙は生前T氏が予めしたためていたものだった。
定年後、四日目には千倉に移住。
海を見下ろす田園に居を構え、野菜を作り花を愛で、茶を嗜み、何より読書をこよなく愛したT氏。
T氏の生き方は正にカントリージェントルマンだった。
年下の私にも別け隔てなく接してくれた。
茶道の帰りには良く珈琲や甘味を召し上がりにカフェに立ち寄って頂いた。
T氏夫妻のご友人が住む鎌倉にご一緒させていただいたのは今となっては良い思い出。
黄金の60代を経て、3年ほど前からは難病に立ち向かわれていたのだが・・

亡くなってから2年過ぎても水丸さんの特集は後を絶たない。雑誌「coyote」もそうでしたね。
この「イラストレーター 安西水丸」(クレヴィス刊)はイラストのセレクションもさることながら、安西水丸百科事典のようです。少年時代を過ごした千倉の事、普段の散歩コース、好きな酒や店なども網羅しています。サンドカフェも小さく載っています。

時々フラッとお店に来てくださる岡本ゆかこさん。一緒にくるお友達がサーフィンしている間、岡本さんはいつも洋書や料理本を見ています。偶然私と大好きな本が一緒でした。右側の「おいしいサンフランシスコの本」。これを見て岡本さんはバークレーに行き、私はサンドカフェのモチベーションとしました。
今回、岡本さんがセンスの良い2冊の料理本を出しました。これからの季節アイスケーキとかイイですね!

高校生の時J.Pメルヴィルの「サムライ」を観てそのカッコ良さに衝撃を受けた。孤独を抱えたアラン・ドロンのハットとトレンチコートの姿が脳裏に焼き付いている。最近ようやくDVD化されました。
映像も音楽もクール。ドロンの部屋もイイ。

降り続いた雨が突然止み、厚い雲の間から青空が見え始めた午後遅く海に向かった。
コンパクトなビーチに着くと、久し振りの波乗りには丁度良いメローなブレイクが。
この歳になると少しのブランクでも体がちゃんと動くか不安になる。
最近は波打ち際からゆっくり時間をかけて歩いて沖に向かう。
少しずつ海に体を馴染ませていくためだ。
何せ生物の進化と逆方向に向かう訳だから。
大雨の後にしては濁りの無い綺麗な海に体が浄化されていく感じを味わう。
ラッキーな事に海には私一人。
いざ波が来てテイクオフ。
オーッ ちゃんと乗れたじゃん!


夜、誰もいない厨房でカレーを仕込みながらイヤホンで昔から好きな音楽を聴いていると、突然「俺は何故今ここに居るんだろう!」という思いに襲われる時がある。
そんな時聴く曲はたいがい若い時に好きだった永ちゃんやタツロー、サザン、ユーミン、まりや など。
私にとってのエバーグリーンは、若かりし頃を蘇らせ懐かしい想いに浸らせてくれることしばし。時には恥ずかしかった自分にも出会える。そして、その後の運命の不思議から今カレーを作っている私をも意識させる。
恩師の浅井慎平さんの言葉を借りれば過去追慕者(パセイスト)ということになるのだろうが、今ばかり見つめて生きる人には解らないだろうな・・

詩人、谷川俊太郎さんの詩集「そして」の記事が産経新聞に掲載されていたことがあった。
もう一ヶ月も前の事だが気になった言葉がいくつかあったので切り抜いて取っていたのを思い出した。
「詩は役に立たないと僕は考えています」
「過去に書いた詩が少しでも役にたっているのなら、詩人として生きてきたかいがあったと思います。でもね、自分から(この詩はどうだい)とはとても言えない」
「意識して書くと詩は面白くなくなります。だから意識下のまだ言葉になっていない混沌としたものがボコッと出てくるのを待つんです」
「マスメディアやSNSで濫用された言葉がどんどん軽くなっています。敏感な人が使いたくない言葉が増えているというのも最もです」・・言葉のインフレーションとも。
「文明はこのへんで止めて欲しい、と思いますが世界中の人々の欲望が塊となって時代を動かしているのですから、これは止めようがありません。独裁者の欲望なら止めようがあるのですが・・」
谷川さん「どうなっちゃうんだろう」と最後につぶやいた。


「葉巻を吸わなくなったんだけど誰か吸う人いるかしら?」
カウンターで一人、キツめのラムとカンパリのカクテルを飲みながらシガレットを吸っていたご婦人(2010年5月31日のブログ参照)が私に聞いてきた。
すかさず「私は好きですが・・」と返したら「家に確か30本くらいあるから送るわ」とのお言葉。
正直嬉しくなった。
何故なら自宅のヒュミドールには葉巻が僅かしか残っていなかったから。
数日後、店に大きな宅急便が届いた。
中には木箱に入ったドミニカ産の葉巻が30本どころか8箱も入っていた。
やはりあのご婦人只者じゃなさそうだ!


(大変申し訳無いのですが、定休日以外の月曜日に臨時休業させて頂く時があります。
ご迷惑をお掛け致します。)
休日は板橋のカミさんの実家に通っています。
義母が入院している大学病院にお見舞いに行くとICUから一般病棟に移っていました。
調子がイイと耳元で会話が出来ますが、話すってすごくエネルギーを使うので筆談も交えることになります。
義母は「三途の川を渡りそこねた」とか「延命治療はしなくてイイ」とか言いますが、今度は大動脈弁にステントを入れるカテーテル手術をすることになりそうです。老人にとって麻酔や手術のダメージと病状改善とのリスクバランスってすごく難しい問題だと思います。
私は病床の義母を見つめながら早く帰って自宅の庭の手入れやメダカの世話をしたいだろうな、と17階の病室で思っていた。


