最近、車でイーグルスを良く聴いている。
それもカントリーテイストの曲ばかり。
「テキーラ・サンライズ」
「Peaceful Easy Feeling」など。
70年代から80年代にかけて海に向かう時にはいつも聴いていた曲ばかり。
窓を開けて潮風を感じながらカントリー・ロードを走る感覚にスゴくマッチするから。
どれもグレン・フライのヴォーカルだが、あの目を細めて唄う姿はもう見ることは出来ない・・


最近、車でイーグルスを良く聴いている。
それもカントリーテイストの曲ばかり。
「テキーラ・サンライズ」
「Peaceful Easy Feeling」など。
70年代から80年代にかけて海に向かう時にはいつも聴いていた曲ばかり。
窓を開けて潮風を感じながらカントリー・ロードを走る感覚にスゴくマッチするから。
どれもグレン・フライのヴォーカルだが、あの目を細めて唄う姿はもう見ることは出来ない・・
ピーター・ビアードという男を知っているだろうか?
ミック・ジャガーやジャクリーン・ケネディ(オナシス)らと親交があるというからかなりのセレブ。
彼の正体は、ニューヨークとアフリカのサバンナを行き来しながら、日記を綴るアーティストである。象やワニに襲われそうになっても、ひたすら日記を綴り続けるダイアリストなのである。
その日記は、コラージュとカリグラフィーで構成されている。自ら撮影したサバンナの野生動物達や数々の女性たちの写真を貼り付け、くせのあるカリグラフィーでプリミティブなページを創り出す。
その分厚く膨れ上がった一冊の「ダイアリー」は強烈な存在感を放つ。(作品集がある)
私は作品の独自性と共に、そんな唯一無二のオリジナルな生き方をしているピーター・ビアード自身にも惹かれるのである。
フリークスな男でもう一人思い出すのがサーファー(ニーボーダー)のジョージ・グリノーだ。
裕福な家に生まれ、大きなヨットでサーフポイントを巡っていたグリノー。ファーストクラスに乗る時も裸足だったとか。一貫して60年代からスプーンの様な異様な形状のオリジナルボードを生み出し、それにこだわり続けているサーフィン界の奇人は信奉者も多くいわばグルである。
主流に乗らず、人とは違う立ち位置でひたすらマニアックにこだわり続けるこの孤高な二人の男のようには生きられないないからこそ、私の憧れは強くなる。
要介護、要支援、ケアマネージャー、デイサービス、ショートステイ・・・
今まで何となく聞いていた、いくつかの言葉が義母の介護に直面したことで遅ればせながら少し解り始めて来た。
高齢化大国、きめ細かな日本の介護システムだがシステムだけでは不完全で、その心棒は家族の支えに他ならない。
人は誰しも旅立つ時には自分の人生は「良き人生だった」と思いたいはずである。
在宅介護が始まった板橋の義母だが「身内に世話をかけさせて申し訳ない感」の負担も軽減できればと感じている。
小池都知事も江古田の自宅でガンのお母さんを在宅で看取ったと知った。
その体験が都の福祉行政にも反映されるに違いない。
久し振りにカミさんと海に出かけた。
お義母さんの介護で中々海に来れなくなってしまったけど、波の感触を味わうように彼女はメローな波を気持ちよさそうに乗っていた。
天気もイイし、水も綺麗で、ヤッパリ海に浸かるとリフレッシュ出来るね!
そんな自分は完全にジイさんのサーフィン。
よっこいしょ、って感じかな?
でも、フラーッと現れて数本乗ったらスーッと去っていく。
そんなジイさんサーファーでイイと思っているんだ。
「荒木一郎デビュー50周年記念ライブ・空に星があるように」に行ってきた。場所は渋谷のオーチャードホール。こんな事でもなきゃ渋谷なんて歩きたくないのだが。
そのライブの一曲目に荒木一郎が歌ったのは、懐かしい夏を想い出させる「君に捧げるほろ苦いブルース」だった。
大学生の夏休み、私は海水浴場の監視員のバイトをしていた。そこに同級生のキヨヒロが偶然現れた。キヨヒロは中学を卒業すると寿司職人の道に進んだと聞いていた。小学生の時は仲が良く一緒にグループサウンズのレコードなんかを聴いたりして遊んだものだった。私はバイトの後で彼を訪ねた。
その中でキヨヒロが付き合っている彼女が荒木一郎の曲が好きだという話になった。特に「君に捧げるほろ苦いブルース」が好きで、だけど彼女はその曲を聴くと死にたくなっちゃうんだと・・そして実は手首に傷があるんだと続けた。
キツイ話を静かに話すキヨヒロの顔はスケボーやサーフィンにカブレ始めていた私には凄く大人っぽく見えた。
「愛しのマックス」や「今夜は踊ろう」の荒木一郎しか知らないでいたがキヨヒロと会ってすぐレコード屋でベストLPを買い段々とセンチメンタルな曲を好んで聞くようになっていった。
それから数年後、千倉の海岸に高名な写真家の別荘が建った。夏になると写真家はそのアンドリュー・ワイエスの絵にありそうな別荘でバカンスを過ごしていた。縁あって私も時々別荘に遊びに行かせてもらっていた。
ある年の夏の夜、二階のデッキで写真家の家族や友人達で賑やかな酒宴を楽しんでいた時だった。古いラジカセから荒木一郎の「君に捧げるほろ苦いブルース」が流れてきた。ハワイアンやジャズやラテンなど洋楽を好んでいると思っていた私は、写真家が荒木一郎のカセットテープをかけた事が意外だった。
キヨヒロの彼女の話を思い出した私は写真家に「この曲、悲しくなりますね・・」と話しかけた。写真家は大きくうなずき「そうなんだよ!」といった表情を見せた。
それは確か、千倉のお盆の花火大会の夜だった。
荒木一郎のセンチメンタルさには一種の魔力性があるんだと思う。
オーチャードホールに集まった荒木ファンの50~70代の人達も色んな想いを抱えて来たんだろうな。
孫のヒナタ君のパパは成田空港で働いています。
その成田の隣町の酒々井に長女一家が新居を建てたと云うので家族見学ツアーに行ってきました。
小さな箱型の家は、自分たちで気に入ったハウスメーカーを探して建てたものでした。
建築やインテリアにやかましい私の意見も聞かないで(笑)
小さいながらも自分たちのベースが出来たんだから、これから日々を充実させていって欲しいな!
朝のサンドカフェに来た方ならこの婆ちゃんに会った事があるのでは・・
85歳になる私のオフクロです。
雨の日も 風の日も、1km程離れた自宅から自転車を漕いでやってきます。
毎朝、カフェの周囲の草を取ったり、窓ガラスを磨いたり、フロアを掃いたりルーティンをこなします。
そして私の淹れた珈琲を飲んでから家に帰ります。
自宅では「デイズギャラリー」の店番をしながらサンドカフェなどの経理事務をしてくれます。
ソロバンを弾きながら・・ホント!スーパーな婆ちゃん。
私の店に藤田嗣治の使っていたコーヒーミルを置いていった人の名は確か「ニシヤマ」さんと言う日本画家だった。
千倉に数年間暮らしていたその方は、昔パリで画家の親父さんが藤田嗣治からもらったというコーヒーミルを私に預けていった。
それは、何気なく私がプジョーの古いコーヒーミルを好きだと話したからだった。
当時「ニシヤマ」さんは、毎日そのミルで珈琲豆を挽いていると話していたが、自分が愛用している貴重な品をいとも簡単に手放してしまうとは芸術の都パリに遊んだボヘミアン「藤田」のスピリッツと被ってしまう。
小さな店だが長年やっていると小さな奇跡に遭遇することがある。
セレンディピティ(serendipity)とは、素敵な偶然に出会ったり、予想外のものを発見すること。また、何かを探しているときに、探しているものとは別の価値があるものを偶然見つけること。平たく言うと、ふとした偶然をきっかけに、幸運をつかみ取ることである。(wikipediaより)
好きな言葉です!
でも、それは探すと見つからず不意に訪れるモノのような気がします・・
お騒がせ台風が通過した火曜日、いつものポイントに行く筈だった私は何気に小さな湾のブレイクが視界に入り引き返した。(旅先でも無い限り車をUターンすることなどしない私だが・・)
ビーチに車を止め、そのブレイクをチェックしていると急に南西風が激しく吹き始めた。
これじゃいつものポイントの波は台無しだ。私は今日はここしか無いと直感した。
セレンディピティ・・普段は絶対波など立たないここでサーフ出来たことをその言葉に重ねた。
お盆の忙しさを終えてから夏バテ気味の私です。
気がつけば、このブログ「アナログ モノローグ」もいつの間にか7年経ちました。
初期のブログは簡潔な文体、それに比べ最近のブログは説明的でクドくなってきたかな?と自省。
時々初心に帰ることがモチベーションを維持することに繋がる気がする。
ところで、いつもの様にアッという間に晩夏になってしまった私の2016年、夏。
でも好きなんだな、夏の終わり・・
夏の忙しさのピークです。
なかなかブログ更新できない日々です。
そして、海からも遠ざかっている私です。
そんな夏ですが、お客様には沢山来て頂き嬉しい限りです。
毎年、夏になると見覚えのある方々がいらっしゃいます。
あっ、もう一年経ったのだと実感すると共に、その方々のライフスタイルにサンドカフェやデッキシューズを取り込んで頂いている嬉しさが私のモチベーションであります。
暑中お見舞い申し上げます。
思ったほど暑くない気がする今年の夏。
皆さん、いかがお過ごしですか。
私の近況は、
孫のヒナタくんも3回目の夏を迎えました。
いずれ小学生になり、長い夏休みに一人で千倉に来ることもあるでしょう。
そんな時を今から妄想しています。
セミやカブトムシの昆虫採集、海水浴や磯遊び、釣りとなればジイさんの出番。
今からシュミレーションに余念がありません(笑)。
デジタル機器には幼い時から接する機会の多い今の世の中ですが、自然を相手に遊ぶ時間も同じ位のバランスでやらせたいものです。
ある日、T氏の奥様から届いた一通の封書。
その中の手紙は生前T氏が予めしたためていたものだった。
定年後、四日目には千倉に移住。
海を見下ろす田園に居を構え、野菜を作り花を愛で、茶を嗜み、何より読書をこよなく愛したT氏。
T氏の生き方は正にカントリージェントルマンだった。
年下の私にも別け隔てなく接してくれた。
茶道の帰りには良く珈琲や甘味を召し上がりにカフェに立ち寄って頂いた。
T氏夫妻のご友人が住む鎌倉にご一緒させていただいたのは今となっては良い思い出。
黄金の60代を経て、3年ほど前からは難病に立ち向かわれていたのだが・・
亡くなってから2年過ぎても水丸さんの特集は後を絶たない。雑誌「coyote」もそうでしたね。
この「イラストレーター 安西水丸」(クレヴィス刊)はイラストのセレクションもさることながら、安西水丸百科事典のようです。少年時代を過ごした千倉の事、普段の散歩コース、好きな酒や店なども網羅しています。サンドカフェも小さく載っています。
時々フラッとお店に来てくださる岡本ゆかこさん。一緒にくるお友達がサーフィンしている間、岡本さんはいつも洋書や料理本を見ています。偶然私と大好きな本が一緒でした。右側の「おいしいサンフランシスコの本」。これを見て岡本さんはバークレーに行き、私はサンドカフェのモチベーションとしました。
今回、岡本さんがセンスの良い2冊の料理本を出しました。これからの季節アイスケーキとかイイですね!
高校生の時J.Pメルヴィルの「サムライ」を観てそのカッコ良さに衝撃を受けた。孤独を抱えたアラン・ドロンのハットとトレンチコートの姿が脳裏に焼き付いている。最近ようやくDVD化されました。
映像も音楽もクール。ドロンの部屋もイイ。