サンドカフェのカウンターに貝のコレクションが飾ってある。
それらは、以前千倉にあった貝の店で買い求めたものだ。その貝の店の店主はその世界では有名な人で日本貝類学会に参加したり、自分が発見し自分の名前のついた貝もあるほどだった。外人のコレクターもよく彼の店に出入りしていたりした。
貝の魅力を私に教えてくれたその人はもういない。遠い世界に、いや貝になって海深く沈んでしまった。静かな世界に。
やっと安住の地に辿り着いたと思いたい。

休日の午前はカミさんがヨガに行くので波乗りは午後から出かけるというパターンになっている。
当然風向きの変化や潮の干満、うねりの具合などによって午前中のいい波を逃してしまうこともあるし、またその逆の場合もある。このあくまでLet it be的スタンスが福を呼ぶ(笑)
この火曜日も午前は激しい雨と風の荒れ模様だったが、11時頃から急に晴れて気温もグングン上昇してきた。
さて、午後はどこのサーフポイントに向かうか?となる。
この間は南西の風で「Pier Point」だった。今日は北西っぽい。外房も良いだろうが「RockBeach」が良さそうな気がしてならなかったので直感を信じピンポイントで直行した。
最近は波が立つと混雑するRock Beachだが海には7,8人のサーファーしかいなかった。しかも波はコンスタントに腿、セットで胸弱と充分すぎる。
私はカミさんにチョット自慢げに「当てたね!」と言った。(笑)
私の数少ない大学時代の友人達は3人とも名前に彦が付く。信彦、直彦、敏彦だ。
今回、新潟の信彦の計らいで24年ぶりの再会が実現した。卒業してからもう33年になるんだね。
上越新幹線の燕三条駅に着くと懐かしい顔が出迎えてくれた。ちょっとふっくらした信彦だった。久々の再会、積もる話は酒の席でと我々は弥彦温泉の信彦知り合いの旅館に向かった。
24年振りとは言え、毎年歳末にはお互いに郷土の物産を贈り合ったりしている為か時差を感じない。いやそれが同窓会なのだろう。前回六本木で会った時は4人とも公務員や銀行員と堅い仕事に就いていた。
人生いろいろ、直彦以外の3人は個人の仕事に変わっていた。漁師、運転手、カフェのオヤジと。それもそうだろう、学生時代の我々はクラスやグループに馴染めないタイプの奴ばかりだったから。
私も自分で「個人の人」だとよく思うことがあるが、こうしてそんな奴らが時を経て新潟の温泉で酒を酌み交わしている時間を味わっていると「縁て不思議だよな」などと純な気持ちに舞い戻る。
代官山にオープンした「蔦屋書店」に行った。ここは大人の為のTSUTAYA。
いろいろなジャンルの専門雑誌、洋書に加えDVDやCDの品揃えも豊富だ。各分野ごとのコンシェルジェもいるし、ソファーでゆったり休憩しながら読書できるカフェラウンジ「Anjin」も二階にある。
何より我々50代、60代が落ち着いてゆっくり出来る雰囲気や設えとスタッフの丁寧な対応が好ましい。
散歩道でつながったTサイトガーデンには自転車やカメラのなど7つの専門店が軒を連ねていた。
ここは大人の知的好奇心をくつろぎながらチャージしてくれる、絶好の都市の散歩スポットだ。
久しぶりに「海岸美術館」に行った。
カフェを始める前の3年間、私は浅井慎平氏が創設した海岸美術館のスタッフとして働いていた。当時、浅井さんからは沢山の事を学んだ。それがその後の人生にとても役立っている。もちろんカフェの営みにも。(サンドカフェの名は浅井さんから頂きました)
久しぶりの美術館を感慨深く観て周りミュージアムショップに入ると1冊の本が目に留まった。「ラジオからビートルズが流れていた」という浅井さんのフォト&語録だった。
夢を追い駆けると
夢がきみを追い駆けてくる
夢のバトンを渡してくれるのだ。
落とすなよ。
インスピレーションは永遠をつくり
思いつきはその場をしのぐ。
非凡と平凡はその差です。
キラッと光る鉱石のような言葉と写真の一冊です。
美術館は学校だったのかも知れないと思う。私は中退してしまったが。
若い人たちが家に遊びに来るというのでオデンパーティーをした。ちょうど末娘も春休みで帰宅していて10人程のにぎやかなパーティーだった。
赤ちゃんを抱かせてくれた若いパパのお父さんと私は高校の同級生だし、東京から千倉に移住して雑貨店を開いた方はカミさんの地元だったりと、不思議につながりますね。
彼らが発行している南房総のフリーペーパー「0470」の事や自分の知らない地元の情報などニッキの焼酎を飲みながらの楽しい時間が過ぎていった。
※ニッキの焼酎とは、千倉エリアで密かに流布しているニッキの根っこを焼酎に漬けて風味を出した密造酒。(笑)安い焼酎が旨口の焼酎に変身するんです。
先週の休日は、腰痛で波乗りは断念した。週一度の浄化が出来ないと何かスッキリしない。今週は腰の具合もかなり良くなったのでリハビリがてら海に漂いたいと思っていた。
が、しかし昨夜から強い風雨が続いていた。半分あきらめの気分、半分自分の波運の強さを信じていた。
すると、午後一時過ぎから雨脚が止んで南西風も幾分弱まってきた。長年の直感で今日はPier Pointに波がありそうな気がして急いで向かった。
珍しく踏み切りで捕まった。一時間に一本の電車に。「今日は当たりだと思った。」(笑)
やはりPier Pointにはサイドオフショアながらロングボードで乗れる波がブレイクしていた。
初めてここに来たというシングルフィンのロンガーと私たち夫婦の三人だけで遅い時間までサーフした。少しずつ日が伸びているんだね。それだけで嬉しくなる。
今は遠ざかってしまったが、一時ツイッターをしていた時があった。ツイッターが何となく自分の世界じゃないなと感じてはいたが、覗きついでにいろんな方のつぶやきを垣間見ていた。
その中で「アインシュタインの言葉」をつぶやいていた人がいてちょっと印象に残っていた。私の抱いていたアインシュタインのイメージとは違ってヒューマンなその言葉に親近感を持った。
「わたしは日常生活ではひとりぼっちですが、真・善・美のために努力している人々のひとりであるという意識のおかげで孤立感を持たずにすんでいます」
「結婚に際して、女性は男性が変わることを期待していますが、男性は女性が変わらないことを期待しています。両者が失望するのは当然です」
「現代人のモラルが恐ろしく荒廃している原因は、生活が機械化して人間性を失っているからだと思います。それは科学技術の悲惨な副産物です」
「日本はすばらしかったです。人々は絵のように美しい国に暮らしています。上品なマナー、芸術的感性、誠実さ、良識。どれをとっても最高でした」(1922年の来日の際)耳が痛い!
20世紀の知の巨人は、真っ当でユーモアがあり誠実な人のようだ。
私は夜、ひとり酒を飲みながら時々この本のページををめくるのである。
カントリーミュージックのアルバム、THE LITTLE WILLIESの「FOR THE GOOD TIMES」。ボーカルはノラ・ジョーンズです。
ノラ・ジョーンズが特に好きと言う訳では無いが、このアルバムでは彼女は楽器のように唄っている。故にバックとシンクロしている。気心の知れたバンドだからこそのバックとの一体感がある。
カントリーミュージックを聴いていると「前に歩くんだ、辛くなったらちょっと立ち止まれ、そして又歩き出せ」と背中を押される感覚を覚える。
特にスローなナンバーの曲を何曲か気に入り繰り返し聴いていたら、無性にバーボンが飲みたくなり近所の酒屋に買いに走った。(笑)
年末に2日間の大掃除をした。随分久しぶりのことだ。
大量の衣料品、雑誌、日用品など(一部リサイクルに回した物を除き)廃棄した。4人の子供の思い出の品も数多くあったが少しだけ残し思い切って捨てた。まだ着れると思い取って置いた洋服もこの際捨てた。気に入っていた雑誌類も好きなページだけカットし相当捨てた。
大掃除の後のすっきりした空間に「気」が流れたかの様な清々しさを感じた。
自分の生活に不要な物を断ち、ずっと使わずにいたものを捨て、物への執着から離れる。物が溢れている今の世の中では断・捨・離、つまり引き算の思考を取り入れないとシンプルな生活とはどんどんかけ離れてしまうだろう。
と言う事で、今年の私の目標は断・捨・離です。(断・捨・離ってヨガの修行の言葉からきてるらしい)
「本当に気に入った物が少しの生活」という理想のハードルは物好きな私にとって高すぎるかな?(笑)