孫達のお正月

我が家では、年末からお正月にかけて長女一家と三女も帰省して全員集合で賑やかに過ごしました。

孫も男の子3人集結すると喧嘩したかと思うと仲良く遊んだり目まぐるしいったりゃありゃしません。

喧嘩の後も仲良くお風呂って、子供って良いよな!

それと、総勢9人のなのでカミさんはご飯の支度も大変です。

しかも、ちゃんとオヤツ作りまで考えていて脱帽です。

今日はピザ作りです!なかなか筋イイね!
次の日のオヤツはケーキつくり。ちゃんとトッピング出来たかな?自分で作ると興味が湧くかも?です。

孫も中学や高校生になると部活やなんだかんだで段々来なくなったりするんでしょうが、今この時を楽しませてもらっています。

 

今年も『アナログモノローグ』ぼちぼちアップしますので宜しくお付き合い下さい。

花と龍

12月21日はお袋の命日、そして一周忌でありました。

ユミちゃんは高校生だった頃にカフェでバイトしてくれた縁でそれから長いお付き合い。

そのユミちゃんがお花をお店に届けてくれた。

ありがとう!お袋の命日を覚えていてくれて。

お袋も喜んでくれていると思います。これからも浜の郷の女将さんとして頑張ってね!

そして幼馴染で親友のクリも線香をあげに実家に来てくれた。

彼は南房総を代表する人気の宿「夢みさき」を築き上げた男なのですが、不思議と昔から気が合いどちらかが何かあったら弔辞を読むと約束している間柄。

クリが線香をあげてくれ実家の外に出たとき「面白い雲だね!」と彼が言った。

「えっ」と空を見上げるとそこに龍神が!

空には龍神の他に雲は無かった。玉(ドラゴンボール)も傍に見える。

クリのお陰で年の瀬に良い物を見れたと思った。

 

本年もブログにお付き合いいただきましてありがとうございました。

そして今年もお疲れ様でした。

皆様にとって幸多い新年となります様お祈りいたします。

孫を背負いて

今年は孫を連れての一泊二日の弾丸旅行が多かったんです。

石垣島(フサキリゾート)、八景島シーパラダイス、それと那須(リンドウ湖)にも行きました。

そして2023年の締めくくりは20年ぶりのUSJでした。

当時あったターミネーターやETは無かったですがジョーズやジュラシックパーク、ウオーターワールドなどは健在でしたし任天堂ワールドやミニオンズなど人気のアトラクションで充実していました。

USJは入園料がチョット高めですが各アトラクションの完成度は高いと思います。

活発でテンションの高いユウくんは前半飛ばしすぎて後半はおんぶとなります。

また突然走り出し迷子になりそうな事もあるので背負ってたほうが安心出来るのもあります。

次女はシングルマザーですので時にパパ代わりもしなければなりませんし・・

あっち行け、こっち行けと指図されるんですが、こっちもサーフィンのトレーニングと思って頑張ります!

アジア系のインバウンドの人達や修学旅行で大混雑でしたが頑張って並んでミニオンのアトラクションにも乗れて満足でした。

ここだけの話ですが、USJはお酒を飲める場所が多いので救われますね 笑

神様の選曲

お店のカウンターに座られた事がある方ならサンドカフェのミニチュアの模型が飾られているのをご存知だろう。

その模型を製作し贈ってくれたのは、東京から波乗りに来ると時々お店に寄って頂いていた私と同年代のオールドサーファーM氏。いつも真っ直ぐな眼差しのお友達と一緒でした。

長さ24〜5cmほどの精巧な木製である。

先日久しぶりに相方のお友達がお見えになったのでM氏はお元気ですかと尋ねた。

いつもこの模型を見るとM氏達まだ波乗り続けてるのかな?とか思い出してましたから。

 

「マスターにもう少し早く伝えたかったんですが二年前の夏・・」と聞いた時心が後退りした。

「・・千倉にある宿で脳出血で倒れ亡くなったんです」と・・・

 

好きだった千倉の海が目の前の宿で旅立ってしまったM氏、それが救いだったと思った。

そのお話を聞いた後、切ないメロディーの曲が流れて来た。(カフェのBGMは古いスマホからシャッフルで流している)

「デスペラード」

イーグルスの名曲をジャズシンガーのダイアナ・クラールがカバーしているのですが思わずお友達も私もこみ上げて来るものがあった。あの頃サーフィンにハマった人ならイーグルスは避けて通れないバンドだから。

何百曲も入っている中で何と「デスペラード」がかかるとは・・

 

帰り際お友達が「Mさん、デスペラードが好きで時々口ずさんでたんですよ!」と赤い目で私に話してくれた。

あの時、あの曲は神様が選曲したんだと思った。

M氏は今、房総半島を望む三浦半島の突端に眠っている。

修復の旅

前回のブログでベネチアの「ハリーズ・バー」について書きましたが、吐露するとその時のイタリア旅行は私にとって大きな意味を持つ旅だったのです。

 

場面は今から15、6年程前にパーンしますが(古い言い方だとこうなります)その当時私はカミさんとかなりギクシャクしていてあまり良く無い関係に陥っていました。

あのまま私に「気づき」が無かったら子供を連れて実家に帰られていたかも知れませんね・・

 

それは、私の夢に付き合ってくれているカミさんに対して思いやり・優しさが足り無かったからでした・・

何とか悪くなってしまった関係を修復しようと一か八かお金はありませんでしたが私はカミさんをイタリア旅行に誘いました。

好奇心の強いカミさんなので今まで行ったことが無い「根アカ」な場所が良いと思ったのです。

 

ミラノ、フィレンツエ、ローマ、ベネチア、ナポリとイタリア縦断の旅でしたが、50歳頃のあの旅が私とカミさんのその後の人生の大きな分岐点になったと言っても過言ではありません。

そう、あの時の旅はイタリアしか考えられませんでした。

秋の夜長に・・

秋の夜長にフト思う。

知らず知らず時は流れ・・

いつしかサンドカフェに30年近い月日が流れていたと・・

 

振り返れば37歳の時に熱い思いだけで千倉にカフェをオープンした。

ジワジワ当時のことが脳裏に蘇って来る・・

 

カミさんに「飲食店はホントに大変だよ」って諭されたこと。

理想主義に走りがちな私を熟知している人の意見だった。

理想と現実のバランスをどう取るのか?この海辺の小さな町で・・

ただ私には根拠の無い確信のような物はあった。

「スタンダードなものは永く支持されると」

 

あれから30年。

小さな奇跡なのか、店はまだ続けさせて頂いている。

開店当初から変わらない「老人と海」の世界。

私の憧れるベネチアの「ハリーズ・バー」の本に書かれていた永きに渡り人々に支持されている小さな店の秘密。「シンプル」「クオリティ」「微笑み」を指標にこれからも店を続けて行ければ幸いです。

左は大好きだった安西水丸さん翻訳の日本版。右は本店で買ったイタリア語版。もう一度水の都ベネチアを訪れハリーズバー発祥のカクテル「ベリーニ」を飲んで見たいと時々思う。

「微笑み」は広く解釈すれば「愛」だと思います。

「ようこそ!」と言うおもてなしの心では無いでしょうか。

それと、もう一つの「クオリティ」をいつも厨房で支え続けてくれているカミさんに最大の賛辞を贈らねばならない。

 

そんなことを思った秋の夜長。

崖は裏切らない

南房総という理想郷に暮らし、サーフィンをライフスタイルとしてのんびり楽しんでいる私ですが時としていつもと違う場所に行きたくなるんです。

毎年、春と秋にいつもの波乗り仲間と銚子方面に出かけます。同じ千葉ですが流石に銚子エリアは日帰りはキツいので一泊宴会付き旅となります。

これがいつも不思議といい波に当たるんです。

日本のドーバー海峡と言われる屏風ヶ浦(崖下)はお気に入りの場所です。風が合わなければお隣の茨城もすぐですし。

今回も良い波・良い天気に恵まれました。

一緒に行った仲間は「いつも崖は裏切らない!」と述べておりました。名言です。

さあ、今日の波はどうかな?
九十九里浜の砂浜で波をチェック。やっぱり崖に行きます。
70代もこうして波と遊んでいたいが。

行きは圏央道を走り現地集合ですが、帰りは一宮のパタゴニアとか寄りながら海岸線をのんびりドライブしながらのショートトリップが好きですね。

機嫌の良い人

もうじき67歳になる私。

いったいこの先何歳まで生きるのか?いや生きてしまうのか?

それは神のみぞ知る事なのですが、流石に60代でお呼ばれするのはちょっと早いかなと。

できれば喜寿あたりでサヨナラ出来たらなと勝手に思っている次第です。

人間の欲望はキリがありませんし、親父やお袋みたいに80代半ばとか90代まで長生きは全く自信ありませんから・・

 

ただ、お迎えが来る日までどんなジジイで居たいかと聞かれれば「機嫌の良いジジイ」と答えます。

その象徴が俳優だった笠智衆。いつも機嫌の良い穏やかな波長の憧れのジジイなのです。

実は、いつも機嫌の良いジジイになれる様に小道具は揃えてあるんです。

ステッキとパナマ帽。
象牙が取っ手のステッキはやっと巡り会えた物。手に馴染みます。

でも、いつも機嫌が良い人って魅力的だし免疫力も上がりますから・・って、実は長生きしたかったりして(笑)

ラハイナの衝撃

マウイ島の大規模な山火事でラハイナの町の約8割が焼失した映像を見てショックを受けた。

 

私は若い時からラハイナの町が、19世紀に栄えた歴史的港町を当時の雰囲気を保ちながらリゾート化している事に興味をもっていた。残すべきものは後世に残すと言うか、新しきが古きを淘汰しないんです。

その古い港町を象徴しているのが船員達の旅籠だった「パイオニア・イン」という宿屋。

そこに等身大の木彫りの船長さんが置かれていて皆んな一緒に記念写真を撮っていたものだ。

潮くさいラハイナを象徴する老船長。

海岸通りには同じテイストで建てられたお店がズラッと並んでいた。ギャラリー、レストラン、ブティック、アンティークショップetc。海に突き出たレストランには波しぶきが当たるほどだった。

観光客はこの界隈をのんびり散歩しながらウィンドウショッピングする。リゾートのストリートにはギャラリーが多く自宅やセカンドハウスに飾るアートなんかを物色する人も多い。

初めてマウイ島に行ったのが早20年以上前。

妹の家族と両親、カミさんのお母さんも一緒だった。私も妹も子供が4人ずついるのでかなりの大人数の旅だった。ラハイナ散策やハレアカラに登ったりパイナップル畑でパインをカットして食べたり楽しい思い出が沢山ある。

2回目のマウイは10年前、佐藤さん夫妻とのサーフトリップだった。

ラハイナの町は何も変わらず潮くさいオールドタウンのままだった。こんな場所は変わらないでいてくれて良かったと思った。

夜食事に出掛けたらハロウィンの時期で通りは賑やかなパレードが繰り出していたっけ。

町の殆んどが焦土と化してしまったラハイナ。私の好きだった海岸通りの街並みや木彫りの老船長も今は無い・・

被災した町の皆さんの1日も早い復興をお祈りします。

新盆でした

咋年末亡くなったお袋の新盆でした。

ひ孫も「なむ〜」

横浜からバイクでカフェにいらっしゃる「心優しきカメラマン氏」が撮ってくれたデイズギャラリーで店番しているお袋の写真を遺影にしました。そのポートレートを見て私の姉や妹、その子供達から「おばあちゃんの想い出として欲しい!」とのリクエストがあったので焼き回しして配りました。

私も柔らかい光のその写真が気に入っていてフレームに入れ遺影に使わしてもらいました。

先日はソール・ライターへのオマージュ的写真をプレゼントして頂き有難うございます。

いつも大きなバイクに乗って来て下さる「ダンディなハーレー氏」

「これお母さんの新盆にどうぞ」と言って自作の竹製灯篭を持ってきて下さいました。

いつもDIYで小屋やデッキを自作しているお話は伺っていましたがこの竹灯籠の仕上がりは納得してしまいました。なんでも尺八用のドリルで穴を開けたのだそう。確かに普通のドリルでは竹の繊維でここまで滑らかな仕上がりにはなりません。中に入れる電球まで用意して頂き痛み入ります。

お袋もこの灯籠で迎えられて喜んだ事でしょう。有り難うございます。

お盆の前日、久しぶりにシガーとライカを愛する「ヒットマン氏」が姿を見せた。

コロナ前からなので3年ぶり、一見強面だが気遣いの人である。

今回も煙2種を持参してくれた。

「線香はお母さんに、ダビドフのシガーは私に」と言って手渡してくれた。粋な方である。シガーは何かいい事があった時吸わせて頂きます!

皆さんカフェに来て頂き知り合った方々。

有難い事この上無い。

BOSS SURFDINERへ

サーフィン仲間である宇田川夫妻が、平砂浦(館山市)の自宅に念願のレストラン「BOSS SURFDINER」を開店したので早速伺って来ました。

ご主人のコウセイさんは長いキャリアのシェフの他にボスサーフボードのシェイパーとしての顔もあり私やカミさんのボードを削って貰っています。(レストランの隣がシェープルーム)

一緒にサーフィンしてライディングのスタイルや癖を把握している人にボードを作って貰うべきだと考えます。

また奥さんのクミコさんは「cicero」というブランドで活躍する帽子作家さんです。私も彼女に作ってもらったパナマ帽を長年愛用しています。

懐かしいキューバ旅行にもかぶって行きました。エクアドル産本パナマを使用しているので長く愛用させてもらっています。

ちょうど我が家に滞在中のカミさんの従姉妹のサイちゃんとナオちゃんを誘い息子と5人でディナーをご馳走になりました。

アミューズ、前菜盛り合わせと続き魚は鯖のハニーマスタードソースが絶品の一皿でした。

ボリューム感のあるコース料理を提供したいとシェフが語る通り満足感を味わえました。コーヒー・デザートまでこだわってコスパ高いディナーなのでまた行きたくなりますね。

シャンパンからのワイン3本と料理が美味しいとお酒も進みました。

宇田川夫妻ご馳走様でした。またすぐ伺います!

いつでも音楽

私の普段の生活の中で音楽は飲食と同じくらい欠かせない大事な要素。

お店や部屋にいる時はもちろんのこと、サーフィンに出かける時も音楽無しに居られない。

旅に出かける時も音楽は気分上げてくれるので、たとえ一泊の旅行でも私はバッグにこのBOSEの小型Bluetoothスピーカーを入れて行く。

ですからiphoneには私の聞いているほとんどの音楽が入っている。

小さいながらもパワフルで屋外でも使える防水仕様。連続6時間使えます。レンタカーの中でもしばしば鳴らしています。

 

旅先でホテルに入ると私はこのスピーカーをバッグから取り出しいつものように音楽を流す。

するとその部屋が途端に居心地の良い慣れ親しんだ部屋のように感じられるんです。

悦楽的に生きよ

転勤の多いC氏は、かつて岡山から車で7〜8時間かけてサンドカフェにやって来た事がある猛者である。

しかも氏の車は71年製500ccのフィアット500。

ベスパと並びイタリアへの憧れの象徴とも言える。

最近、南房総に戻って来られたC氏、休日にはこの可愛すぎる車でカフェに来て下さる。

テラスで愛車を眺めながら寛ぐC氏。車のレストアの際、ここに止める事を考えて2年悩んで選んだカラーと聞いて感無量となった。

先日、私も憧れのFIAT500に乗させて頂いた。

するとこのイタ車が私にささやいてきた。

「もっとお前らしく悦楽的に生きろ!」って!

悦楽的生き方とは世間の同調圧に怯まず自分の価値観でオリジナルな生き方をする事。       そして、この嬉しそうな自分の顔を久しぶりに見た私であった。

波を求めて

サーファーは波を求めて移動する生き物である。

私も長いサーフィンライフの中で今まで色んなサーフポイントに行かせてもらいました。

マリブ、ベンチュラ、サンオノフレ、ヌーサ、バイロンベイ、クレッセントヘッズなど。

ただ私の場合、自分がどうしても行きたいと言うよりもカミさんに「ねえ、○○に行って見ない!」と誘われるので腰を上げると言うのが正しいのですが。笑

なぜなら私の住む南房総はサーフィンにとても恵まれた環境にあるから。

どんな風向きやうねりの向きにでも対応する地形(半島なので)であり台風ならば内湾に幾つもの良いポイントを有しているからです。

温暖で水も綺麗で変化に富んだ海岸線てそうは有りません。

とは言っても旅に出ればその土地の美味しい物や感じの良いカフェに出会えたり初めての海岸線をドライブ出来たりと楽しい時間を味わえるのでカミさんの誘いをどこかで期待していることは間違いありません。

 

今回も「ねえ、また宮崎行こうよ!」の号令が掛かったので仲の良い東京の佐藤さん夫妻をお誘いして行って来ました。

2年ぶりの宮崎、今回もマハロレンタカーの森さんにお世話になりました、ハイルーフって良いですね!ロング4本天井に詰めるので窮屈さが無いんです。

台風の余波で行きたかった日向方面がクローズ気味なので1日目は青島で入りました。

泊まったシェラトンの前も大きな波が割れていました。
日向、延岡、下阿蘇までドライブしましたが乗れそうな波は見つからず・・
日南にも足を伸ばし串間の手付かずのビーチでもサーフィンしました。向こうは猿で有名な幸島です。しかし今回も随分走りました。

今回の宮崎トリップは最後の「とく旅キャンペーン」を使ってかなり割安な旅をすることが出来ました。

次回はどこに行こうって誘ってくれるのかな?

トラッドの匂い

私がアンティーク店「DAYS GALLERY」を開いていた時に一方的に指標にさせて頂いた方が二人おりました。(面識など無いんですが・・)

お一人は何回かブログでお話ししているアートディレクターの渡邉かをる氏(故人)です。

青山で「デイリーキャッチ」というシガーと中国茶と骨董のお店をやられていましたが、和洋折衷の粋なセンスが大好きで氏がプロデュースされた溜池山王のBar「スワンキー」や鎌倉にオープンされたBar「The BANK」にも足を運びました。

魯山人の器にグラスはバカラのアンティーク、現代作家の塗の盆にテーブルと椅子はオリジナルのコルビジェやヨーゼフ・ホフマン、後ろの棚には丹波の大壺や李朝の置物など・・足元にも及ばないエクレクティックなセンスにはいつも脱帽しておりました。

VANジャケット出身の渡邊さんからはトラッドの匂いを感じておりました。BAR文化にも精通しておられた酒徒。

そしてもうお一人はいつも本を愛読していた自在屋の勝見充男氏です。

このほど骨董雑誌「目の眼」誌より「勝見充男大全」が発売されたと聞き購入した次第です。

若かりし時アイビーからウエスタンに傾倒し原宿の古着屋で働きゴローズでインディアンジュエリーを物色していたと言う勝見さんのセンスもやはりトラッドの匂いがしていました。
自由自在な骨董センスを色々学ばせて頂きました。

桐の箱を古い更紗とかでなくビンテージのバンダナで包むセンスが勝見流。

本にご興味おありでしたら参考になさって下さい。

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