Leiter with Evans

2月の雨の休日。

こんな日は海へも向かわないので写真集を見ながらゆっくり過ごす。

先月、手元に届いた「まだ見ぬソール・ライター」という写真集。

何の変哲の無いものを写して、その中に特別な何かを見つけるのが好きだとライターはつぶやく。

そこが「如何にもが苦手」な私の感性に響く所以だ。

ソール・ライターは冬の雨のNYのイメージ。

ライターの写真を見ながら聴くのはビル・エバンスの「From Left To Righit」(確か以前にもブログで紹介しているはず)というお気に入りのアルバム。

エレクトリックピアノの温かな音色とロマンチックなストリングスが60~70年代初頭の映画音楽を想わせる。

映画のワンシーンの様なライターの写真と、これまた映画音楽の様なジャズがピッタリハマった。

 

一月は母の四十九日と板橋の義母の七回忌と続いた。

そして私の66歳の誕生日も。

ゾロ目の今年はきっといい事があるはずと勝手に思っているのだが・・

30年目の正夢

カフェを開店したのが30年ほど前でした。

カフェの道を挟んだ向かいには昭和を感じさせるホテルがあって、カウンターからいつもそのホテルを見ながら「この建物が無かったらどんな景色が広がっているんだろう」とか「きっと松林の間からチラッと海が見えたりして」なんて妄想混じりの叶わぬ想いを長年巡らせておりました。

 

そのホテルも7、8年前にご主人の他界をきっかけに廃業となり、売りに出されたと聞いていましたが中々買い手も付かず少しずつ荒れた状況になっていました。

海岸通りの目立つ場所にあるホテルだけにこのまま廃墟化して行ったら寂れた町の印象になってしまうんじゃないかって心配していたんです。まして店の目の前ですから・・

昭和40年代に建てられたホテルはその役割を終えていた。

ある時そのホテルを買ったという東京のご夫婦の方が店に挨拶に見えました。

お話を伺うと、ここから見える海の綺麗さに惹かれたのだとか。そして建物の一部を残してセカンドハウスとしてリノベーションすると言う事でした。

「救世主現る」とはこの時の私の心境です。

そしてしばらく後、昨年秋から年末にかけてカフェの前部分の取り壊し工事が始まりました。

あの30年前からずっと叶わぬ夢と思っていたカフェの前が開けた景色を目の当たりにする。

残念ながら30年の間に松林も成長し隙間から海を望むことは出来ませんがヤシと松林の間を気持ち良い風が吹き抜けていた。

ありがたい・・

回想

私の家から歩いて30m程の近所にあるオフクロの住んでいた実家。

毎日線香をあげに寄るんですが、閉店した「デイズギャラリー」も時々覗いてしまいます。

オフクロの座っていたデスクに腰掛けて洋書を何となくめくっていると、この店をオープンした頃の事が懐かしく思い返されます。

あの頃も遅い時間にこうして好きな洋書をめくっていたっけ・・

 

2000年に千倉に出来た小型集合店舗「エストプラザ」のテナントから「デイズギャラリー」はスタートしました。

その頃まだ理想主義者だった私は、個性的な小さなお店やギャラリーが点在したら海辺の素敵な町に変わるかも知れないなんて夢想していました。

自分のやれる事で何か形に出来る形態の店舗と言うことでアンティークとアーツ&クラフツ「デイズギャラリー」を開店しましたが6年後に実家の一角を改装してそこに移ります。

その方が歳とってきたオフクロが家事や経理をしながら店番出来るってのがありましたから。

古民家ですがイギリスのステンドグラスのドアを付けサビサビのラーレーの自転車を立て掛けた。

古い物をいろいろ扱って来ると目が肥えるというか、沼にハマるというか必然的に古美術に向かいますね。

ただ和洋折衷が好きなのでポップな物も混在していましたが。

ロシアイコンや羊皮紙のグレゴリオ聖歌楽譜とか宗教美術的な物にも触れました。
アートディレクターの故 渡邊かをる氏に倣い信楽の大壺にステッキを入れてましたね。
最初から好きだった真空管ラジオ。
扇風機、タイプライター、デスクスタンド・・22年もの間ずいぶんこのお店で楽しませてもらいました・・感謝

来週はオフクロの四十九日の法要です。

サヨナラの知らせ

心不全でおふくろが病院に救急で入院したのが12月10日、その後ちょっと落ち着いたのですが21日のお昼過ぎ帰らぬ人となりました。91歳でした。

不思議なのですが21日の朝6時30分にセットもしてないのにスマホのアラームが鳴って隣の部屋に寝ていたカミさんも目を覚まし「変だね」などと言っていた6時間後にお袋が旅立ったんです。

「あたしは今日サヨナラするからね」って私に知らせて来たとしか思えませんでした。

毎朝、自転車でカフェまで来て店内や建物周りの掃除を長年してくれたおふくろ。新聞を読みながらコーヒーを飲み、家に帰り店の経理事務をしながらデイズギャラリーの店番をしてくれていました。ホント感謝しかありません・・

年末に近親者でおふくろを送りました。

3人の子供が近くに暮らし、孫10人、ひ孫9人に恵まれ幸せな人生を過ごした人でした。

 

新年を迎え私はとても穏やかな心境で居ます。

これもおふくろからのプレゼントかなって思っています。

生前ご厚情を賜った皆様、この場を借りまして御礼申し上げます。
ありがとうございました。

デイズギャラリーからお知らせ

私が40代の時に趣味が高じて始めた古道具と器の小さなお店「DAYS GALLERY」

南房総の片隅でかれこれ20年以上続けて来れたことは、ひとえに贔屓にして頂いた方々のお陰と感謝に耐えません。

長年、店番をしてくれていたお袋が91歳を超えて最近足腰が弱って来てしまいました。

残念ですが、次の展開が決まるまでお店を休ませていただく事となりました。

時々バイクで横浜からカフェに来て下さる心優しきカメラマンの方が撮ってくれたDAYS GALLERYの店番をするお袋の写真です。素敵な写真ありがとうございます。

私の人生を豊かにしてくれた古い物達との出会い。

また何か違う形で再開出来たなら幸せですね。

板橋日和

月に一回くらい板橋のカミさんの実家に行きます。

私には子供が4人おりますが、一番下の三女が実家に居候させてもらっているので顔を見に行く訳です。

 

実家のある辺りも古い家がみんな今風の住宅に建て代わり、この実家が時代に取り残されたかのような印象を受けますが、陰翳礼讃派の私には古い和の佇まいが逆にしっくり来るのです。

カミさんの親父さんが庭師だったのであちこちにその名残が。

勿論、あちこち痛んで来ているのですがカミさんもピカピカして便利な今風の家に立て替わったのを想像すると今のままでいいかなと言います。

 

実家に来るとカミさんはいつも庭の草を抜いています。

私も嫌いじゃないので午前中は掃除機をかけたり布団を干したりします。

午後からは車で10分くらいの所にある「高倉町珈琲」に行き好物のナポリタンやフレンチトーストを頂きます。最近はここのナポリタンにハマっているんです。ソファー席がゆったりしているのと店内にいつもビートルズが流れているのも気に入っている理由です。

それから「板橋サティ」で食材や本なんかを見て夜は三女と一緒に近所で外食します。

せっかくの休日に海に行けないんですが、板橋の実家で過ごす休日も私には好きな時間の一つなのです。

笑顔がサイコーな俳優の家

稀代の才人・伊丹十三氏のエッセーにアメリカ人の笑顔について書かれた物がある。

彼らは笑う時「ヒー・フラッシュド・ヒズ・ティース」の如く歯をきらめかせる。ニコッでは無くニカッと。

そして自分の最高の笑顔を鏡の前で日夜訓練しているに違いないと。

 

LAに住む俳優のウォルトン・ゴギンズのサイコーの笑顔を見ていたらそのエッセーの事を思い出した。

Webで見つけたんですが、彼の住む家がまたカッコ良かったのでご紹介。

ガーデンパーティー用にカクテル用のレモンやオレンジを庭で採って絞るのである。
サイコーの笑顔とはこの事。
キッチンにはメタリックなエスプレッソマシンが。
憎らしいほど帽子がお似合いです。
今、アメリカでは皆んなレコードを聴いている。

 

カメラマンのマーティン・ロフの写真もクールです!
こんな落ち着いたガーデンパーティーとかしたいものです。タランティーノとかも来るんでしょうね!
とにかくカッコいいウォルトンさん。私も今日から鏡の前で笑顔を訓練せねば・・

イノキノコトバ

ひとりのカリスマがあの世に旅立った。

アントニオ猪木、79歳。

全身性アミロイドーシスという難病だった。

 

私は全日でジャイアント馬場とタッグを組んでいた時代からの猪木世代。

猪木には随分サプライズさせられて来た。

タイガージェット・シンの腕折り、スタン・ハンセンへの逆ラリアット、マサ斎藤との巌流島、モハメド・アリとの異種格闘技戦などなど伝説は数えたらキリが無い。

猪木のメッセージ「元気があればなんでも出来る!」「迷わず行けよ、行けば分かるさ」が私の中でリフレインする。

 

その燃える闘魂と言われた男がYouTubeでベッドの上で衰弱して行く姿を晒していた。

その姿を見せるにあたっては、心中せめぎ合いがあったと思われるが「あるがまま」の境地に至った猪木の表情は僧侶のように見えた。

猪木が何回かのYouTubeの中で語った言葉が忘れられない。(正確ではありません)

・「ありがとう」という言葉には全て含まれている。だから「ありがとう」と言う。

・世間の評価はいろいろあるが、私は自分の心の中に宝として持っている物があるから幸せである。

・人間が汚してしまった地球、そのゴミを「水プラズマ」で綺麗にしたい。

※最高2万度の熱で金属でも蒸発させてしまう技術らしい。

「心の宝」良い言葉です。スケールは違えど皆んな自分が心の宝として大事にするものがあると思います。

しかし難病で苦しんでいる男が地球のゴミをキレイにしたいと語るものなのか?

最後までサプライズさせてくれたアントニオ猪木 「ありがとう」

クラッシュ!

台風のうねりが内湾に入っていた日、強い南風がオフショアになる場所にやって来た。

いつもは波が立たないここにも時折腹〜胸ぐらいのセットがやって来ていた。

ショルダーの切れ目から乗ればロングライドが出来る感じだ。

早速海に入り、レギュラーとグーフィーの良い波を何本か乗った。

強いオフショアだったが・・ボードが風に煽られるので要注意です。

調子に乗って次の波に乗って行った時バランスを崩しコケた。

一瞬の間があり「ゴン!グシャ!」という鈍い音がして空中に飛んだロングボードが頭に落ちたのが分かった。

「やっちまった・・」と思い衝撃のあった頭部に恐る恐る手を当てた。

アレッ!? 切れているはずの頭からは血が流れていないようだ。

ボードを見たらノーズから少し下のレールが20cmほどバックリ割れ髪の毛がめり込んでいた。

その後少し腫れていた頭部は痛みもじきに収まっていった。

このクラッシュを見て、このかすり傷程度で済んだ事に「また護られていた!」と感じた。

そして、想像以上に俺は石頭だったと悟ったのだった。

アダンの島再び

台風12号が過ぎたのも束の間、14号が九州にゆっくり近づこうという最中、2年ぶりにアダンの島へサーフトリップしました。

2年ぶりの奄美ですがやっぱり雰囲気最高ですね。

メンバーは東京の佐藤さん夫妻と。いつものシニア4人衆です。今回も重いロングボードを担いでやってきました。

台風の合間でしたが良い天気に恵まれました。しかし9月の奄美は暑かった。日差し眩しすぎ!「ティダ・ムーン」
前半はホテル「ティダ・ムーン」でした。プールもあり食事も凄く良くてオススメです。

今回は台風の影響で強い風をかわす場所を探して波乗りしました。

美しいこのポイントで再びサーフィン出来て幸せでした。海亀さんもすぐ脇を泳いでいます。ただ9月の奄美は太陽の照り返しで波待ち中に頭がボーッとして来ます。暑さにめげずキヨミさんもカミさんもロングライド連発でした!
波を探して島内を巡っていた時ユージさんが「あそこで出来そう!」と偶然見つけた場所。近所のおじさんに聞いてもサーフィンしているの見た事ないって。未知のポイントでのサーフ面白かったです!

偶然、そんなポイントを見つけてサーフィンするのもサーフトリップの醍醐味ですね。

「miru amami」にまた来れて良かった!部屋の前はアマミ・ブルーの海が広がります。
台風で2泊の予定が1泊になってしまいましたが、素晴らしいロケーションと80種類揃えている黒糖焼酎を堪能出来て満足です。
ウェルカムドリンクで作戦会議 笑。今回ユージさんのおかげで1日早い便でスムースに帰れて良かったです。

今までいろんな旅をして来ましたがいつもフライトスケジュールは順調でしたが、大型の台風が近づいて来てホテルの5泊目をキャンセルし飛行機を1日早い便に変更と良い経験をさせてもらいました。

私も晴れ男パワーでスコールもありながら5日間なんとか晴れさせることが出来ました・・笑

いつも思いますが60代半ばでこうやってサーフトリップに来れる事に感謝です・・

美術館めぐり

佐倉市立美術館で開催されている「安西水丸展」を充分楽しんだ後、同じ佐倉市にある川村記念美術館に向かいました。

せっかく佐倉市まで来たので現代美術のコレクションで名高い川村記念美術館に寄らないわけには行きませんから。

木々に囲まれた広い敷地内には庭園が広がり池には白鳥が泳いでいました。

ちょうどお昼だったので美術館のイタリアンレストランでランチをいただきました。

ひとつひとつが丁寧で美味しく充実した食事でした。

このレストランのランチはオススメです。

展示は私の好きなサイ・トゥオンブリー、マーク・ロスコ(ロスコの部屋がある)などの他にさらに巨大な抽象表現ペインティングがずらっと並び圧巻でした。

 

そんな大作を過ぎたところに心惹かれる作品が二つ並んでおりました。

そして、その二つとも物凄く小さかったんです。

一つはブランクーシの「眠れるミューズ」ツルンと研磨された金色の頭部の彫刻は何とも言えぬ表情でコロンと置かれていました。

これ、傍に置いておきたいです!笑

もう一つは「箱シリーズ」で知られるコーネルの「青く塗られた青の中に」

実際みるとこのブルーが目に染みてくるようなノスタルジックなブルーなんです。

箱の中に封じ込められた一片の詩的世界。

大作の中で出会った小さな作品に心惹かれるところがアートの面白さでもあります。

マイヨールのぽっちゃりした裸婦像が置かれたホールは照明も素晴らしい。

安西水丸展に行きました。

お久しぶりです。

気がつけば9月に入りましたが皆さんはどんな2022年の夏をお過ごしでしたか?

私は県民割りを使い千葉北、茨城にプチサーフトリップに何回か行きました。

今回佐倉市立美術館で開催されている「安西水丸展」にも九十九里に前泊しサーフィン、二日目に伺いましたが県民割りはお得なのでなるべく長ーく続けて欲しいものです。笑

 

さて、安西水丸展ですが想像以上に素晴らしくその作品ばかりでなく水丸さんの人となり、暮らしぶりまでをも網羅されていました。

これは水丸ファンにとっては凄く興味深いものです。これ「全水丸辞典」的展覧会とも言えるのでは・・

あなたも小学生に戻れます!それにしても水丸さんて小学生の頃から好きなものが変わってないんですね!
よくぞ長年保存してありましたね!驚きです。この辺も水丸さんの魅力です。
佐倉市立美術館の2階と3階に水丸ワールドがたっぷり展開されています。
愛用品など。トレードマークの黒縁メガネ、ガラスのプロペラも。
千倉のことも色々紹介されております。 水丸さん、チャーミングな人です。
楽しく長かった夏休み。9月25日まで開催されていますのであなたもあの頃に帰りませんか?

放浪の哲学者のエリック・ホッファーも言っています「成熟するとは5歳の子供の真剣な遊び心を取り戻すこと」だって。

夏には達郎

夏に山下達郎を聴くと「悲しみのJODY」が流れていたあの夏を想い出す。

 

山下達郎の新譜がイイ!とホマレさんがインスタで紹介していたのでレコードを購入した。

最近はCDとレコードが出ていたらレコードの方を買う。

音もジャケットもレコードの方が自分好みだから。

レコードは2枚組なので毎日片面ずつ聴いています。4日かかります!笑

避暑地に吹く涼風のような達郎の爽やかで透明感のある歌声とメロディーが心地良い。

往年の名曲をオーバーラップさせるアレンジがあるのも私には嬉しい。

 

この肖像画を描いた人が気になったので検索したらヤマザキマリさん(テルマエロマエの作者)が描いたと知って更に感動!

数年前に達郎さんから「あなたは本来画家なのだから」と肖像画の依頼を受けたヤマザキさん。イタリアでは油絵と美術史を専攻し肖像画を学んでいたキャリアを持っていたのですね。

飾って良し。私の古臭い(笑)部屋にこの肖像画ジャケットがハマる。

「諸々の課題と対峙し乗り越えようとする意志のあるうちは、現役を続けられると思っています」と来年70歳になる達郎さんは何かの取材でコメントしていた。読んだこちらもエールをもらった気分になった。

安西水丸展

珈琲焙煎家1st-CRACKの安芸さんから「世田谷美術館でやった安西水丸展がすごく良くて二回行ったんですよ!」と聞いた数日後に佐倉市立美術館の学芸員さんからお電話が。

「今度、安西水丸さんの展覧会を開催しますのでポスターとパンフレットなどお送りします」と。

カレー好きの水丸さん、幼少〜少年期まで過ごした千倉で食べた思い出の味「サザエカレー」が結ぶご縁に感謝。

郵送でと思っていたら先日、佐倉市立美術館の館長さん、学芸員の方がポスターやパンフレットを持って直接お店に来られ、サザエカレーまで食べて頂きました。

そして、これから親交の深かった千倉館の鈴木社長にも会いに行くとの事。

そんな美術館の皆さんの熱い姿勢に心打たれました。

良くカウンターでカレーを召し上って頂きました。生前頂いたサインと共に。

「イラストレーター 安西水丸」展、今から凄く楽しみです!

海の家

私が都会に暮らしていたなら、小さな海辺の町に休暇小屋を持つことを切望するだろう。

Casa BRUTUSの「SUMMER HOUSE 山の家 海の家」を見ていたら、あるお二人の海の家が脳裏に蘇って来た。

その一人は写真家の浅井慎平さん。

浅井さんが1983年末に千倉の海岸通りに建てた海の家との出会いで私の人生は変わりました。

北カリフォルニアのシーランチにあるチャールズ・ムーアの建築群のような板張りの浅井さんの海の家は今は違うオーナーの物となっていますが、あの頃僕達は時々遊びに伺っては素敵な時間を過ごさせてもらっていました。

「モダンリビング」誌より。
この海の家の内装がサンドカフェの原点となりました。

ヘミングウェイの「海流の中の島々」でトマス・ハドソンは岬の突端の堅牢な家で暖炉に流木を焚べていましたが、浅井さんが奥の暖炉で薪を焚べる姿と重なり合って40年近く経った今でも瞼に焼き付いています。

 

もう一人はフローレンス西村さん。

三浦半島の海を見下ろす斜面に建つフローレンスさんの海の家は度々雑誌やテレビで紹介されてその暮らしぶりは当時皆んなの憧れでした。

「ようこそ、海辺の田舎暮らしへ」より
シルバーグレーのショートカットヘアがフローレンス西村さんのトレードマークでしたね。中古の和風住宅をコツコツDIYして居心地の良い海の家を作り上げたんですね。
チープシックな暮らしを実践したフローレンスさん。今ある物を活かすセンスが素晴らしいんです。

25年程前の事、夏の終わりに家族でグアムに出かけた時、空港でパートナーらしき方とお揃いのボーダーのカットソーを着たフローレンスさんをお見かけした事があります。きっとダイビングにでも来ていたんだと思いましたがカッコ良くて見とれてしまいました。

 

あの頃からずいぶん月日が流れてしまいましたが、お二人の海の家は私の憧れのまま変わらずにありました。

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