六十代半ばに思うこと。
カフェの仕事も波乗りも七十歳までは現役でいたいと思う。
それから先は、その時の自分と相談だ。
先の先まで想定内に収まると人生ツマラナイ。
何が起こるか判らないのも人生の醍醐味だろう。
ポールも歌ってるよね「Let it be」って!

六十代半ばに思うこと。
カフェの仕事も波乗りも七十歳までは現役でいたいと思う。
それから先は、その時の自分と相談だ。
先の先まで想定内に収まると人生ツマラナイ。
何が起こるか判らないのも人生の醍醐味だろう。
ポールも歌ってるよね「Let it be」って!
老いを悟る時。
それは冬の海。
先日の事、内湾のポイントに行くと波はあるのに一人のサーファーだけ。
しかし波は来るのに一向に乗れない私。そのうち体は冷えてくるし、ますます乗れない壺にハマる・・
そのサーファーはロングライディングを次々決めている。
波とのリズムが合わない時があるのは解っているが、落ち込んだ私・・
その日は風もあったが私はブーツしか履かないでいた。
歳と共に体が思うように反応しなくなって来るのだが手や頭部が冷えると更に体が動かなくなるのだった。
次からはグローブやウエットキャップも持参しなくてはと痛感した。
シトロエン2CV、昔からずっと変わらず乗ってみたい車のひとつです。
先日カフェの駐車場にカワイイ姿を見せてくれました。
その車のダンディなシニアの男性は、縦目のベンツも持っていらっしゃるそうなのでかなりのエンスーとお見受けしました。
で、60代半ばに差し掛かり思うんです・・
ステキな車でも何でも自分が持たなくてもいいんじゃないかって。
私の代わりにこの方が乗ってくれているって(笑)
持てる車の台数って限られるし、今のライフスタイルに合った一台があればイイんじゃないですか。
これは色んな事にも言えて、例えばサーフィンにしても私の理想はデヴォン・ハワードのライディングなんです。
私には彼の様な波乗りは出来ないけど、デヴォンさんが私の代わりに理想のライディングをしてくれているんだと思う様になりましたね。
そうやって考えると私みたいな理想主義者は理想を一個消化できます。
シンプルな境地になれて、今の私の等身大で愉しめばイイのだと・・
でもいつか乗りたいな2CV(笑)
こんな時代ですが今年も「TODAY IS A GOOD DAY」と唱えながら暮らして行きたい。
朝、青空が見えたなら TODAY IS A GOOD DAY
そう思うだけで景色が違って見えてくる。
爽やかな風が吹いたら TODAY IS A GOOD DAY
ルーティン・ワークもフレッシュな気分でやれそうだ。
一杯の美味しい珈琲があれば TODAY IS A GOOD DAY
自然や自分を支えてくれる人々に感謝する気持ちが湧いてくる。
生きているけど生かされてもいるんだと。
今日という日を平凡な佳き日だと思えれば何とか進んで行くことがことが出来るだろう。
PS・自分でイラストを描きプリントしたTシャツやトレーナーをSand CAFE隣の海雑貨「Deck Shoes」に置いています。カフェにお出での節にのぞいて見て下さい。
本年もこんな独り言によろしくお付き合い下さい。
「コミヤマさん、12月22日から風の時代が来ますよ!」とホマレさんが教えてくれた。
パンデミックにより世界的に大きく価値観が変わり続けた2020年だったが、占星術の世界でも歴史的な変化に入るようだ。
それは「土の星座」から「風の星座」への交代だと云う。
長く続いてきた土の時代の物質・所有的価値から風の時代は精神性・感性・情報(自分色の)
と無形の世界へ移行するとの事。
ホマレさんも私も風の星座である水瓶座。(双子座、天秤座も風の星座)
「風の時代」の到来。それは約200年続くらしい。
混迷の社会情勢下だからこそ希望を持つ術を身に付ける事は必要だと思っているのですが、年末に追い風を受けたような気がしたのだった。
皆様に良い風が吹く新年となりますようお祈り申し上げます。
歳取るとだんだん寝るのが早くなってくるのですが、あまりに早い時間に睡魔に襲われた時はYou Tubeを観て時間を稼ぎます。
最近ハマってしまったのが「東京大衆歌謡楽団」。出で立ち然り、楽器然り、昭和初期にこだわった4人兄弟のバンドが昔懐かしい歌謡曲を演奏します。
「ああ上野駅」井沢八郎、「東京の灯よいつまでも」新川二朗、「長崎の人」春日八郎などは小さい時テレビで見覚え・聞き覚えがあるのですが昭和10年代〜30年位の歌はさすがに亡き親父の年代じゃないと分かりません。
霧島昇、藤山一郎、ディック・ミネなどが歌った曲を若き楽団が演奏しジジ&ババがあの頃を思い出し熱心に聞き惚れているシーンが微笑ましいし案外イイ曲・イイ歌詞だって気付きがあったり。
でも、そんな時は私に親父がのり移っているんだと思うんです・・きっと(笑)
数多あるメゾンブランド製品の中でもルイ・ヴィトンのトランクは別格。
その(ロマンある)ヒストリーとクラフツマンシップに惹かれ「DAYS GALLERY」でも幾つかルイ・ヴィトンのヴィンテージトランクを扱ってきたが、その都度ステキなお客様の手に渡って行った。
今、私の手元に残ったトランクはバニティケース(化粧ケース)のみとなった。
ちょうどレコードが収まるサイズだったので書斎のプレーヤーの脇に置いてレコードケースとして使っているが和室の雰囲気にもマッチしているので、これを手放すことはないだろうな。
古いスクラップブックに大型のLVトランクをソファテーブルに見立てている写真があった。大型のトランクになると高価なので中々手が出ないが、古民家とかの雰囲気に合わせても面白いと思う。
時々、時間のある時に珈琲を飲みながらパラパラっと見返す好きな写真集。
このKINFOLK・GARDENもそのひとつ。
世界には色んなセンスの人がいて色んな庭や植物のある生活をしている。
私は、気に入った庭やインテリアの写真があるとその中に入り込む、つまりそこにワープしてしまう。
そして暫し陶然となる。
そんな時間が好きでまた今日もパラパラっと・・
私も仕事をしなくなったら毎日海を散歩し、庭でバラを育てながら暮らしたい。
飲食の仕事って休みでも食材買い出しや仕込み、機器のメンテナンスなんかで完全なoff感覚って中々難しいんですが、旅に出てしまうと一切忘れることが出来るんです。
サーフトリップに来る理由もそこにありますね。特にカミさんですが・・
今回お世話になった宿「MIRU AMAMI」は目の前がビーチのコテージタイプのホテル。
毎晩、スタッフの方のオススメ黒糖焼酎を飲むのが至福の時間でした。
日本の島旅の楽しさを教えてくれたアダンの島。
幸運な事に今年もサーフトリップに行くことが出来た。
そこはアダンの島と云う。
誠に勝手ながら11月2日(月)〜6日(金)はお休みさせて頂きます。
今年のサーフトリップは日本の南の島に行きます。
田中一村のトロピカルな日本画を収めた美術館がある島。
芭蕉布と並んで好きな紬がある島。
黒糖酒が誘う島。
そして、そこで私達はどんな波に出会えるのか?
倉本 聰さんは50代以上のオヤジ達が観れるTVドラマを書ける稀有な作家。
富良野が舞台の「北の国から」は名作だが「優しい時間」も忘れられない。
倉本さん、いつも登場人物一人一人の細かい履歴書を書くらしいですね。その人物の生い立ちから今に至るまで。見えない部分とか向こう側にあるものを大切にするんですね。
定年後に母親の故郷、富良野で喫茶店を開業した訳ありの中年の男(寺尾 聡)をテーマにしたドラマでしたが、その喫茶店「森の時計」はお客が自らコーヒーミルで豆を挽く店だった。
ホテル敷地内の森には可愛いクラフトショップが点在する「ニングルテラス」があり、お目当ての「森の時計」もその中にありました。
二日目はワイン工房、カンパーナ六花亭に寄ってからユウくんを連れて行きたかった旭山動物園に。
頑張って仕事して、たまに家族とか夫婦で旅行に行けたらサイコーですね。
今回、富良野・美瑛に来て感じた言葉が「Landscape」でした。
秋の美瑛・富良野に家族で行ってきました。
美瑛では染物作家の菊池昌子さんをお訪ねしました。
昌子さんは墨染めでモダンな作品を作られている方で4月〜10月は爽やかな美瑛で、11月〜3月は温暖な南房総とベストシーズンでの2拠点生活を楽しまれている何とも羨ましい自遊人。
その昌子さんのお誘いでランチに「北の住まい設計社」へ向かいました。
オペラには特別興味がないので、今まで「マリア・カラス」を意識的に聴こうとした事がありませんでした。
ただ絶世の美女にして世紀のソプラノと云われたカラスのレコードがたまたまアマゾンで目に入りレコードなら聴いて見ようと思った訳です。
カラスはギリシャ系アメリカ人。どうりでレコードを聴いているとエーゲ海を思い浮かべたりしていました。行ったこと無いですけど・・笑
聴く音楽には全く境界の無い私。しばし濁世のザワザワ感を忘れて自分好みのゆったりした曲を歌う伝説のミューズに癒やされてます。
ソール・ライター(Saul Leiter)という写真家を知ったのは数カ月前の事。
NHKの「日曜美術館」や新聞などでその写真を見てすぐに興味が湧いたのだった。
(新たなアートやアーティストに巡り会いたいとはいつも思っているが・・)
「帽子」と題された写真。
雪の中、一人の男が店の前のテントの下で帽子に手をやっているのをショーウィンドウの内側から写している。無数の水滴が凍っているのか型ガラス模様に見える。ウィンドウに描かれた剥げかけた文字がより写真を印象的にしている。
ソール・ライターの一連の写真を見ていると狙って撮っている感じがしない。
あらかじめ何かを計算してそこに居た訳では無さそうだ。
たまたまそこに居合わせてシャッターを押したという何気ない感じに私はシビレる。
ソール・ライターのように「何気ない日常にこそ美が宿る」というモチベーションこそ、これからの私の規範に出来たらと思う。