9月も半ばになるが連日の残暑。厳しすぎます。
残暑にバテた夕べに私はレッドアイを飲む。
ビールとトマトジュースのカクテルだ。
割合は好き好きだが、トマトジュースは「デルモンテ」がお薦め。
デルモンテにはシチリア島の岩塩が入っている。
その塩気がレッドアイに旨みをもたらす。

私が憧れているベニスの「ハリーズバー」のオーナーであるチプリアーノ氏曰く「シンプル」「微笑み(愛)」「クオリティー」によって今のハリーズバーがあると言う。また池波正太郎氏は「ほどの良さ」が老舗の秘訣と説く。
含蓄のある両氏の言葉である。どちらにしても結果は後からついてくるものだ。
さて、池袋にとても居心地の良い店がオープンした。名前を「Cheval de Hyotan」(シュバル デュ ヒョータン)と言う。瓢箪から駒の意と聞いた。
オーナーの川副さんとはサンドカフェのオープン当初からのお付き合い。奥さんの藍さんと8月8日にカジュアルなフレンチのお店を西池袋の立教大学近くに開店された。
先日ランチにお邪魔したが、丁寧な仕事をされた料理、ゆったりと寛げる空間、節度がありながらもフランクな対応にシャンパン、ワインとついつい昼間からカミさんと結構飲んでしまった。(笑)
オープンして間もないながら、地元の人たちから近所に良い店が出来たと喜ばれているそうだ。夜はコースでなくワイン一杯から楽しめる。人生経験を積んでバランス感覚に優れた川副さん達だからこそ出来た素敵なお店だ。
秋になると時々サーフトリップに行くことがある。
4年前に東京の佐藤さん夫妻とオーストラリアのサンシャインコーストにあるロングボーダーの聖地Noosa Headsへ行った旅は想い出深い。
野生のコアラも生息している国立公園の岬に沿って3ヶ所のポイントブレイクがある。どれもレギュラーのパーフェクトブレイクでサイズが小さくても長ーいライディングが楽しめる。(車で行けないのでロングボードを抱え長く歩かなければならないのが難点)
また、ヌーサは洗練されたビーチリゾートなので洒落たアコモデーションやショップが点在し、波乗りをしていない時もリラックスして楽しく過ごせる。そして美しいラグーンが川沿いに広がりクルーザーを横着けできるような大きな別荘も多いためか品の良いオージーが目立った。
私たちはビーチに近いモダンなコンドミニアムを借り、近くのスーパーで食料やワインを買い込み自炊もかなりした。旅先で地元のスーパーに行くのも楽しみの一つだから。
私たちが到着する前の2週間は波が無かったらしいが、滞在中はヒザから腹位の波に毎日恵まれラッキーだった。その殆どはFastPointの一つ先にあるTeaTreeというポイントでサーフした。
ヌーサでは海亀も見たし、小さな蝶がたくさん海に舞っていたり、その環境はまさにサーファーズヘブンと呼ぶにふさわしい。
今は亡き親父が油絵に夢中になる前は、盆栽にのめり込んでいた。
私が30代位までだったろうか、実家の裏庭は沢山の盆栽で埋め尽くされていた。
やり始めたらとことん追求する人だったな、込山哲夫は。
今、私の自室にはその頃の盆栽用の小さめの鉢がいくつか飾ってある。そして近い内この鉢に植えようと考えている植物がある。
それは「多肉植物」だ。
雑誌BRUTUSのボタニカル特集にも紹介されていた「Binowee」というプランツショップが千倉にある。波乗りが好きなセンスの良いご夫婦が営まれているステキなお店だ。
その店でこの鉢に合いそうな多肉植物を探すつもりだ。和の盆栽用の鉢にエキゾチックプランツの寄せ植えなんてミスマッチだと思うが、果たしてイメージ通りに仕上がるかな?
ホスピスに一ヶ月近く入院していた親父は、信じられない気力で二つの望みを叶えた。
一つは、お世話になっている先生や看護師の方々にサンドカフェでカレーとコーヒーを振舞うことだった。もちろん自分も何口か食した。
二つ目は、自宅に帰り最後の展覧会の油絵を選ぶことだった。只、それを理由にどうしても生まれ育った自宅を味わいたかったのだと思う。
どちらも酸素吸入機を付け、車椅子で短時間の外出だったが、あまりハッキリ話すことの出来ない父親は両手で丸のサインを作り満足そうだった。
その日から程なく親父は逝った。本当に「良き人生」を過ごした人だった。
通夜、告別式、納骨と私は喪主としてバタバタと過ごした。
そして誰もがそうである様に、葬儀を終えた私の心はポッカリと風穴が開いた様な空虚さに襲われている。
トラックファニチャーの自宅・工房・ショップ・カフェを一つに集約したプロジェクトの9年間にわたる記録の写真集。
若い人はこんな生き方に憧れるだろうな。
自分の価値観に忠実であり、ずっと好きな家具製作を続け、多くの支持者を得て成功者と言われてもそのスタイルを崩さず、平凡な家庭と非凡な仕事をして暮らすその生き方に。
敷地に植える木を自分の眼で確かめに北海道へ行くそのこだわりが潔い。
家具選びにゆっくりと時間をかけて欲しいと開いたカフェも妥協せずトラックの普遍的世界が具現化されている。
私も「BIRD」カフェに行きケンタロー氏直伝のハンバーグやドーナツロボットで作ったドーナツが食べたくなった。
「人生はとっかえっこ」だと先達が言う。何を得て何を失うかだと。トラックの二人はそのバランス感覚に何のブレも無い。
この夏、親父がホスピスに入院した。サンドカフェから車で5分の小さな漁港近くのクリニック。
いろいろな木々が植えられた中庭を囲みホスピスの病棟がある。広いデッキが張られ、風に木々が揺れ、海鳴りも聞こえる。
数日前、病院の方々が小さな花火大会を開いてくれた。
大きなガラス戸を開け、そのままキャンドルが灯されたデッキにベッドが移動できた。他の病室の患者さんもベッドに寝たままデッキに出て花火を楽しんだ。
和気あいあいにスタッフの皆さんが上げてくれる花火を見ていると、急に親父がビールが飲みたいと言った。院長先生に快諾してもらい親父と先生は一番小さな缶ビールで乾杯した。
3ヶ月振りだというビールを一口飲むと親父は「あーッ、ウマイ!」とつぶやいた。
それはビールの味では無く、その夜の気分がそう言わせたに違いない。
忘れえぬ夏の一夜。
ソロになってからの桑田佳祐に惹かれている。
一年半前のアルバム「music man」がとても気に入っていたが、最近また2枚組の「I LOVE YOU」がリリースされた。
古い曲や「music man」からも何曲か入っての2枚組な訳だが、そんなことはどうでもいい。私にとってお気に入りの曲満載だったから。
「music man」で一番好きな歌は「君にサヨナラを」だった(今回のアルバムにも入っている)。この無常観漂う歌が好きだった。
「I LOVE YOU」では、それ以上に好きな歌が現れた。「愛しい人に捧ぐ歌」だ。この歌で久々に泣けた。
この曲は、あの日大切な人を失った人々に送るエールだと感じた。ガンバレとか元気を出そうとか言わないエール。でも一筋の希望の光が見える。
ポジとネガの交錯というのか。そこがソロになってからの桑田さんが好きな要因なんだろうな。
夏らしい暑さ到来。
蚊も多くなった。でも昔より温暖化のせいか蚊が出没する期間が長くなった気がする。台風と同じだ。
このブタさんはサーフィン仲間で陶芸家のサトルさんに作ってもらった。だから耳がフィンの形をしている。ちなみにメガネは私が遊びました。伊達なので勉強のし過ぎではありません。(笑)
庭の木の枝にはクジラ君が泳いでいる。鋳物製のクジラ君は時々「リンリン」とイイ音で鳴いている。日陰で涼しいことだろう。
この夏はブタさんとクジラ君に活躍してもらおう。
夏休みに末娘が東京の友達を連れてくるというので2階を片付けた。ちょっとした大掃除だ。
片付けなんてしてみるもんです。しばらく開けていなかった棚から懐かしいCDがいろいろ出てきた。ボブ・マーレーだ。ボーイミーツガールだ。サンタナだ。
このサンタナの2枚は私が高校生の時の愛聴盤(当時はレコード)だった。ああ懐かしい。
左のアルバム「アブラクサス」はサンタナの代表曲「ブラックマジックウーマン」が入っている。
あの頃私はサイフォンでコーヒーを淹れ、きついタバコを吸いながら良くこのアルバムを聴いたものだった。特に「君に捧げるサンバ」が好きだったなあ。久々に聴いてもいいなあ・・・今日はドリップで落としたコーヒーを飲みながらだ。
そして夕暮れ時。今度は酒を飲みながら「キャラバンサライ」を聴いた。もちろんシガーを吸いながら。
幸い家人が買い物に出かけていたので家には私一人だ。気兼ねなく大音量でこのアルバムを聴いた。前にも書いたが、私は良い天気の日の夕方は真っ暗になるまで部屋の灯りを点けない。
なぜなら宵から闇に変わってゆく空色の変化を楽しみたいから。これは是非お薦めしますよ。
虫の鳴き声で始まるこの「キャラバンサライ」。闇で聴くと砂漠にトリップしてしまう。あの頃のように・・・
なぜサーフィンをするのか?と聞かれたら「自由になるために」と答える。例えそれが刹那であっても・・・
日頃、我々は他人と比較したり、他人の目を気にしながら暮らしているがミスターフリーダムと呼ぶに相応しい生き方の人がいた。カリフォルニアのサーファー、ブライアン・ベントだ。
彼はホットロッドに自作のウッドのサーフボード、いやサーフボートを乗せサンオノフレのビーチに乗りつける。そしてキャプテン帽にウールのセーターと半ズボンでサーフする。ウェットスーツは着ないらしい!
牧師でありアーチストである彼は、陸でも海でもその独創性で一目瞭然。着ているTシャツも自分でペイントする。彼の100%オリジナルな生き方、「唯一無二」なスタイルが私を惹きつける。
漠然とした絞めつけや拘束感が漂うこの社会で、ブライアン・ベントの存在が私をサーフィンの世界に留めてくれている。
ある人々は、ルイヴィトンやゴヤールの大きなトランクをいくつも持ち込み長い船旅を優雅に過ごした。
また、ある人々は移民として故郷を捨て遠い異国の地を目指した。トランク一つで船底の大部屋にギュウギュウ詰めになりながら。
私は、そんな大型客船全盛時代に思いを馳せ、この客船をオーダーした。どこに置くかも決めず、値段交渉もせずに。
そしてひと月強を費やし完成したこのフローティングホテルはカフェのカウンターに停泊している。
全長80センチ。ゆったりとした時間を内包しているこの客船は、私が旨い酒を飲むためのイマジネーションツールでもある。