Honey

浅草のGUILDという革工房のi phoneケース。ブライドルレザーでカラーはハニー。でもi phoneは裸がいちばんカッコイイのかもしれない。

i phoneを使う前は電波の状況が不安だったが特に不便さは感じていない。私はメールとか電話のヘビーユーザーでは無いのでスイスアーミーナイフ的にi phoneを使っている。電話、カメラ、i pod、電子辞書、ナビゲーション、ネットなどがこれ1台で済む。特に私は辞書のアプリの使用頻度が高い。

バッテリーの問題も慣れと、サブバッテリーで解決できると思うが。

いろいろなスマートフォンが出てきているが、機能だけでなくフィーリングが自分に合っているかどうかが長く使っていく鍵だ。デジタル機器は後からより性能の良い物が出てくるのだから。
いろいろなスマートフォンが出てきているが、機能だけでなくフィーリングが自分に合っているかどうかが長く使っていく鍵だ。デジタル機器は後からより性能の良い物が出てくるのだから。

金継ぎ教室

休日の波乗りの後にいつも立ち寄るカフェがある。自宅近くの「オルネカフェ」だ。海から上がってまっすぐ家に帰るのではなく、暖かい飲み物と甘い物にありつきマッタリと心地よい疲労感に浸りたいから。

私はいつもスパイスミルクティーとブリオッシュをオーダーする。ブリオッシュは温めた上から蜂蜜とナッツがかけてありとてもおいしい。

その「オルネカフェ」で先日金継ぎ教室があり、仕事の合間を抜けて参加した。自己流でエポキシを使った簡単な金継ぎは何度もやっていたが漆を使った金継ぎを是非やってみたかったからだ。

行って見ると7~8人の生徒と美人の先生だった。それぞれ欠けた器を持ち寄り金か銀(錫)で繕った。世界広しといえども割れた器を金や銀で補修し、ましてや全く違う陶片を欠けた箇所に金で継ぎ(呼び継ぎ)そこに新たな美を見い出すなど日本固有の美意識だと思う。

物を大切に使い込むだけでなく、そこに美しさも加わり言うことが無い。

金と銀で繕ったそれぞれの器。銀はかなり器を選ぶと感じた。やはり金の方がオールラウンド。
金と銀で繕ったそれぞれの器。銀はかなり器を選ぶと感じた。やはり金の方がオールラウンド。

巨匠の小屋

世界的建築家ル・コルビュジェは南仏の極小の休暇小屋(キャバノン)でミニマムな暮らしを実践していた。

最近出たカーサブルータスにその休暇小屋が特集されていた。この号には他にもミラノの照明デザインナーのカステリオーニのアトリエや日本の建築家中村好文の住宅、グラフィックの原研哉の書斎など私の好きなクリエイターの収納術が沢山掲載されていてオススメの一冊。

写真の中の小さな本はコルビュジェがスイスのレマン湖畔に両親のために建てた小さな家の小さな本(集文社)、右は中村好文氏が監修している南仏カップマルタンの休暇小屋の特集(TOTO出版)。

物が溢れる現代生活、そこから開放されるミニマムな暮らしのヒントが小屋にある。一つの機能に長けた物の膨大な集積から多機能な物の極小な集積へ。
物が溢れる現代生活、そこから開放されるミニマムな暮らしのヒントが小屋にある。一つの機能に長けた物の膨大な集積から多機能な物の極小な集積へ。

Good Bye

突発的に何かをすることがよくある。根拠や確信があるわけでは無い。思いつきとか、勘が働くとかだ。だから、何で?と聞かれてもいい加減な答えを言うしかない。

何日か前の朝方に夢を見た。それは車を手放す夢だった。そして起きた時に私は、「5年間楽しませてもらったのだからもう手放してもいいかな』と納得の目覚めをしていた。

その日店に出た私は、いつも修理で世話になっている自動車屋さんに手放す相談の電話をかけていた。

ルノー4フルゴネット、1991年製。居なくなるとやはり寂しい。
ルノー4フルゴネット、1991年製。居なくなるとやはり寂しい。

自然と人工の振幅

私は建築は素人だが藤森照信氏の建築を見ていると常に有機的な佇まいを感じる。それは氏が人間というものを判っているからだろうと想像する。つまり人間も自然の一部だと。生身であると。

かつて安藤忠雄氏がテレビで、ハイテクビルの中にずっといると生命力が衰えると話していたことがある。(つまり免疫力もそうだろうと思う。)アメリカなどではそれが判っているからコンクリートの柱を木で囲ったり、グリーンを置いているのだと。

それと共にインテリジェントビルのようなところに住んだり、長時間仕事をしたりする人ほど週末や余暇には自然の中に身を置く必要があると私はずっと感じている。それにより危うい振幅のバランスが取れるのではないかと。

現代人は少しずつ内なる自分のバランス感覚に鈍くなってきている気がしてならない。

焼き杉ハウスやタンポポハウス、にらハウスなど有機的かつユニークな建築で世界的な藤森氏のツリーハウス。木の上の茶室だ。
焼き杉ハウスやタンポポハウス、にらハウスなど有機的かつユニークな建築で世界的な藤森氏のツリーハウス。木の上の茶室だ。

Seaside Houses

若い時からインテリア関係の本が好きで、たまに東京に出かけても必ず洋書店には立ち寄る。欧米のインテリアや建築の洋書は装丁、写真など秀逸なものが多く歴史の差を感じずにはいられない。

家の書棚にもかなりの数の洋書があるにもかかわらず、店には毎月フランス、イタリアの「エルデコ」やアメリカの「dwell」が届く。それらをお客さんのいない朝にパラパラとめくってはイメージの中で遊んでいる。

よくイメージするのは、砂浜に錆びたトタンを使って建てた小屋とか古いレンガのビルのワンフロアをロフトにしたり、岸壁に寄せた船の中をモダンなインテリアにして住んだり。洋書をめくっている束の間、ケープコッド、ニューヨーク,サンフランシスコなどへと誘ってくれる。

近頃は小さな家、小屋がいいなと思っていて、コルビュジェが両親のためにレマン湖畔に建てた小さな家と自分のための南仏の休暇小屋の2軒や藤森照信のツリーハウスなどは傑作だと思う。

1994年のオープン当時から店に置いてある「Seaside Houses」。私の理想とする粗野(ラギッド)な洗練が伝わってくる一冊。
1994年のオープン当時から店に置いてある「Seaside Houses」。私の理想とする粗野(ラギッド)な洗練が伝わってくる一冊。

宿らない音

今や我々の身の周りには音楽を聴く装置がいろいろあって、ケータイ・ipod・パソコン・CDプレーヤー・ステレオなどなど。好きな曲をいつでもどこでも持ち歩いて聴けるし、圧縮された楽曲を簡単に買うことも出来るようになった。

あっちにもこっちにも音があると逆に何を聴いたらいいのか、わからなくなってしまうことがよくある。

グルーブ感は味わえるが、体を通過して流れ去ってしまう曲が多い最近のミュージックシーン。その反動なのか昭和の歌謡曲、演歌を時々聴きたくなる。体に宿る音がそこにはある。

最近よく聴くのは、ちあきなおみ。舞台から姿を消して久しいが根強い人気がある歌手だ。「喝采」が有名だが古い歌謡曲を歌ったアルバムがいい。「黄昏のビギン」「白い花の咲く頃」「東京の花売娘」「星屑の街」「黒い花びら」など昭和の名曲が並ぶ。同時代より前の曲が多いのだがアレンジもいいので時差を感じさせない。

センチメンタルとかロマンチックってもう古いのかな?でも人間の感性のなかではとても上質なものだと思う。

真空管ラジオで聴きたいので、i pod からFM電波を飛ばして聴いている。
真空管ラジオで聴きたいので、i pod からFM電波を飛ばして聴いている。

時々香り

人が訪ねてくる時や気分を変えたい時にアロマキャンドルに火を灯す。好みの香りは「ディプティック」のミモザでリビングで使っている。ただ外国の香りはきついのであまり長時間点けていることは無い。

日本のお香はもっと好きで「伽羅(きゃら)」や「沈香(じんこう)」を愛用している。お香は気持ちを落ち着かせ澄んだ心持ちにしてくれる。

香りだけでなく、視覚的にも癒してくれるキャンドルの炎。
香りだけでなく、視覚的にも癒してくれるキャンドルの炎。

ツヤ消し願望

13年前に中古でこの車を買った。以来、毎週の波乗りはもちろんアンティーク家具の配達、子供達の引越しと酷使してきた。しかも鳥のフンが落とされた時以外は洗車せず、冬場は塩水を滴らせたままウェットを中で着替えている。

この車の理想は全身をツヤ消しにしてボンネットをごま塩サビで覆い尽くすいうことだった。

再塗装のケースを除き、ツヤ消し塗装の車というものが無い。町ですれ違う車は皆きれいに洗車され私の理想とする「キタナカッコイイ車」にはまずすれ違うことは無い。

理想のキタナ塗装にますます磨きをかけようと思っていた矢先、銀行の駐車場で運転席側のドアにおじいさんの車が突っ込んで来た。板金修理は無理だったので新しいドアに取り替えたらなんかパッチワークみたいになってしまった。

しかし、これからも20年選手めざしてサビ、ツヤ消しに精進していきたい。

横からみると、どことなくナポレオンフィッシュに似ている気がする。
横からみると、どことなくナポレオンフィッシュに似ている気がする。

家宝(2)

先日頂いたmini Sand CAFEを知り合いの人たちに見せていたら、友人がこんな写真を撮ってくれた。

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家宝

新年早々の素敵なプレゼント。長さ20cmの小さなSand CAFE。

オールドサーファーのkawabataさんのウッドクラフトは建物をかなり忠実に縮小している物だった。

オフにコツコツ作ってくれたのかと思うと感動。

ウッドのロングボードまでありがとう。
ウッドのロングボードまでありがとう。

OVER THE RAINBOW

新しい年が穏やかにスタートした。気候もポカポカと暖かい。

こんな時代だからこそ日々の自然の移ろいに目を向けて暮らして行きたい。

今日もいい雲が流れて行く。

昨年訪れた島ですぐ目の前に現れた虹。小さな奇跡。今年はどんなシーンに出会えるのだろうか?
昨年訪れた島ですぐ目の前に現れた虹。小さな奇跡。今年はどんなシーンに出会えるのだろうか?

HOWの国からWHYの国へ

朝からニュースを見ると気が滅入るのであまり見たくないが、今日も日本のトップが「経済成長」と言っていた。多分ありえないと思う。新聞を見ても「景気回復」とか「二番底回避」とか経済、経済とそんなことばかり。大体いつに比べて不況と言っているのかよくわからない。まさかあの忌まわしいバブルの時期か。

かつての内需拡大政策の影響なのか巷には物品・食べ物などありとあらゆる物が溢れている。そして情報も。

重箱の隅をつついてばかりいるマスコミの情報にあおられず、少しそこから距離を置いて本質を見つめていきたいと思う。それには田舎のほうがいい。

物事が複雑に入り組んで出口が見えなくなったとき、原点とか、シンプルに立ち返ると解決の糸口が見えてくることがある。HOWではなくWHYの思考で。

今の若い人の行動をみているとかつての60年代から70年代のアメリカの現象に重なる部分が多い。物質的に豊かな時代の後のビートカルチャーやヒッピーカルチャーの出現。ON THE ROADからBACK TO NATUREへ続く道のような。
今の若い人の行動をみているとかつての60年代から70年代のアメリカの現象に重なる部分が多い。物質的に豊かな時代の後のビートカルチャーやヒッピーカルチャーの出現。ON THE ROADからBACK TO NATUREへ続く道のような。

Mac beginner

アナログモノローグというタイトルにあまり相応しくないテーマかもしれないが、年末に初めてのMacが届いた。今までは長いことXPを使って来た。なぜマックユーザーになったかと言うと、数ヶ月前から使っているi phoneのテイストが気に入ったからだ。

なぜかマックにはテイストというニュアンスが似合うと思った。そしてシンプルに向かうデザインの独自性にも惹かれる。

アップルのスティーブジョブスは60年代ヒッピーだったらしい。ヒッピーとコンピューターは対極の位置関係にみえるが、社会のメインストリームから脱却したヒッピーコミューンを自立させていくためのテクノロジーの利用は必然とも思える。(想像だが)

Macを触り始めて、大げさかもしれないが明るい光がさした気がした。
Macを触り始めて、大げさかもしれないが明るい光がさした気がした。

正月

一年のうちで元旦だけは朝からお酒を飲む。最初に飲むのはシャンパンと決めていて、朝シャンじゃないがこれがおせち料理や雑煮にも合う。その後はやはり日本酒で、気に入りの酒器の出番となる。

朱色の根来(室町~桃山)と絵唐津以外は浅井純介(海山窯)作。粉引徳利、織部、刷毛目、引き出し黒の酒盃達。どれも長年使っていて顔ぶれもこれで充分だ。

一日中ポーッとして過ごすのは格別で、元旦ならではのダラダラとした時間がゆっくり過ぎて行く。

最近、いろいろなことをシンプルにしたいと強く思う。物との付き合い方もライフスタイルも。今年のテーマは「シンプルで行こう」。
最近、いろいろなことをシンプルにしたいと強く思う。物との付き合い方もライフスタイルも。今年のテーマは「シンプルで行こう」。

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