近頃、リビングのソファに座れた事が有りません。
疲れた時などソファに横になりたいのですが・・
お気に入りのイギリスのチェスターフィールドのヴィンテージソファ。
家に帰ると、クッションを剥ぎ取られオモチャに占領されてしまっているソファにお目に掛かります。
男の子って陣地や秘密基地が好きですもんね!

もうじき5歳になる孫のユウくん、早く違う遊びに進化して欲しいと思っているんですが・・
近頃、リビングのソファに座れた事が有りません。
疲れた時などソファに横になりたいのですが・・
お気に入りのイギリスのチェスターフィールドのヴィンテージソファ。
家に帰ると、クッションを剥ぎ取られオモチャに占領されてしまっているソファにお目に掛かります。
男の子って陣地や秘密基地が好きですもんね!
もうじき5歳になる孫のユウくん、早く違う遊びに進化して欲しいと思っているんですが・・
自宅から車で1時間で理想郷に着く。
このところ休日のサーフィンのお気に入りはこの理想郷。
ここに来るとサーフィンを始めた頃のキラキラ輝いていたあの日々を思い出させてくれるから。
あの頃よく聴いていたオールドロック(POCOの「Indian Summer」とかニール・ヤングの「Out on
the Weekend」とかバッチリですね!)を聴きながらのドライブも気分が上がる。
何といっても水が綺麗、そして来ているサーファー同士のストレスが無いのがイイ。
皆さんここにそれを求めて来ているんですから。
貴重なサンクチュアリと呼べる場所。
「Nalu」というサーフィン雑誌に掲載されていたカリフォルニアのレジェンドサーファーのドナルド・タカヤマのインタビューが思い返される。
「テリトリー意識が強すぎる。
海はみんなの物なのに、自分だけの物と勘違いしているのさ。
それがサーフィンの楽しさを奪うことになるのにな。
私や仲間たちは混雑を避けて楽しくやってるよ。
スターになりたい訳じゃない。
ただ、沖に出て仲間とサーフィンを楽しむだけなんだ。」
今、そんな場所を皆んな求めているに違いない。
あの頃から波に乗ってきたオールドタイマーはなおさらである。
2月の雨の休日。
こんな日は海へも向かわないので写真集を見ながらゆっくり過ごす。
先月、手元に届いた「まだ見ぬソール・ライター」という写真集。
何の変哲の無いものを写して、その中に特別な何かを見つけるのが好きだとライターはつぶやく。
そこが「如何にもが苦手」な私の感性に響く所以だ。
ライターの写真を見ながら聴くのはビル・エバンスの「From Left To Righit」(確か以前にもブログで紹介しているはず)というお気に入りのアルバム。
映画のワンシーンの様なライターの写真と、これまた映画音楽の様なジャズがピッタリハマった。
一月は母の四十九日と板橋の義母の七回忌と続いた。
そして私の66歳の誕生日も。
ゾロ目の今年はきっといい事があるはずと勝手に思っているのだが・・
カフェを開店したのが30年ほど前でした。
カフェの道を挟んだ向かいには昭和を感じさせるホテルがあって、カウンターからいつもそのホテルを見ながら「この建物が無かったらどんな景色が広がっているんだろう」とか「きっと松林の間からチラッと海が見えたりして」なんて妄想混じりの叶わぬ想いを長年巡らせておりました。
そのホテルも7、8年前にご主人の他界をきっかけに廃業となり、売りに出されたと聞いていましたが中々買い手も付かず少しずつ荒れた状況になっていました。
海岸通りの目立つ場所にあるホテルだけにこのまま廃墟化して行ったら寂れた町の印象になってしまうんじゃないかって心配していたんです。まして店の目の前ですから・・
ある時そのホテルを買ったという東京のご夫婦の方が店に挨拶に見えました。
お話を伺うと、ここから見える海の綺麗さに惹かれたのだとか。そして建物の一部を残してセカンドハウスとしてリノベーションすると言う事でした。
「救世主現る」とはこの時の私の心境です。
そしてしばらく後、昨年秋から年末にかけてカフェの前部分の取り壊し工事が始まりました。
残念ながら30年の間に松林も成長し隙間から海を望むことは出来ませんがヤシと松林の間を気持ち良い風が吹き抜けていた。
ありがたい・・
私の家から歩いて30m程の近所にあるオフクロの住んでいた実家。
毎日線香をあげに寄るんですが、閉店した「デイズギャラリー」も時々覗いてしまいます。
オフクロの座っていたデスクに腰掛けて洋書を何となくめくっていると、この店をオープンした頃の事が懐かしく思い返されます。
あの頃も遅い時間にこうして好きな洋書をめくっていたっけ・・
2000年に千倉に出来た小型集合店舗「エストプラザ」のテナントから「デイズギャラリー」はスタートしました。
その頃まだ理想主義者だった私は、個性的な小さなお店やギャラリーが点在したら海辺の素敵な町に変わるかも知れないなんて夢想していました。
自分のやれる事で何か形に出来る形態の店舗と言うことでアンティークとアーツ&クラフツ「デイズギャラリー」を開店しましたが6年後に実家の一角を改装してそこに移ります。
その方が歳とってきたオフクロが家事や経理をしながら店番出来るってのがありましたから。
古い物をいろいろ扱って来ると目が肥えるというか、沼にハマるというか必然的に古美術に向かいますね。
ただ和洋折衷が好きなのでポップな物も混在していましたが。
来週はオフクロの四十九日の法要です。
心不全でおふくろが病院に救急で入院したのが12月10日、その後ちょっと落ち着いたのですが21日のお昼過ぎ帰らぬ人となりました。91歳でした。
不思議なのですが21日の朝6時30分にセットもしてないのにスマホのアラームが鳴って隣の部屋に寝ていたカミさんも目を覚まし「変だね」などと言っていた6時間後にお袋が旅立ったんです。
「あたしは今日サヨナラするからね」って私に知らせて来たとしか思えませんでした。
年末に近親者でおふくろを送りました。
3人の子供が近くに暮らし、孫10人、ひ孫9人に恵まれ幸せな人生を過ごした人でした。
新年を迎え私はとても穏やかな心境で居ます。
これもおふくろからのプレゼントかなって思っています。
私が40代の時に趣味が高じて始めた古道具と器の小さなお店「DAYS GALLERY」
南房総の片隅でかれこれ20年以上続けて来れたことは、ひとえに贔屓にして頂いた方々のお陰と感謝に耐えません。
長年、店番をしてくれていたお袋が91歳を超えて最近足腰が弱って来てしまいました。
残念ですが、次の展開が決まるまでお店を休ませていただく事となりました。
私の人生を豊かにしてくれた古い物達との出会い。
また何か違う形で再開出来たなら幸せですね。
月に一回くらい板橋のカミさんの実家に行きます。
私には子供が4人おりますが、一番下の三女が実家に居候させてもらっているので顔を見に行く訳です。
実家のある辺りも古い家がみんな今風の住宅に建て代わり、この実家が時代に取り残されたかのような印象を受けますが、陰翳礼讃派の私には古い和の佇まいが逆にしっくり来るのです。
勿論、あちこち痛んで来ているのですがカミさんもピカピカして便利な今風の家に立て替わったのを想像すると今のままでいいかなと言います。
実家に来るとカミさんはいつも庭の草を抜いています。
私も嫌いじゃないので午前中は掃除機をかけたり布団を干したりします。
午後からは車で10分くらいの所にある「高倉町珈琲」に行き好物のナポリタンやフレンチトーストを頂きます。最近はここのナポリタンにハマっているんです。ソファー席がゆったりしているのと店内にいつもビートルズが流れているのも気に入っている理由です。
それから「板橋サティ」で食材や本なんかを見て夜は三女と一緒に近所で外食します。
せっかくの休日に海に行けないんですが、板橋の実家で過ごす休日も私には好きな時間の一つなのです。
稀代の才人・伊丹十三氏のエッセーにアメリカ人の笑顔について書かれた物がある。
彼らは笑う時「ヒー・フラッシュド・ヒズ・ティース」の如く歯をきらめかせる。ニコッでは無くニカッと。
そして自分の最高の笑顔を鏡の前で日夜訓練しているに違いないと。
LAに住む俳優のウォルトン・ゴギンズのサイコーの笑顔を見ていたらそのエッセーの事を思い出した。
Webで見つけたんですが、彼の住む家がまたカッコ良かったのでご紹介。
ひとりのカリスマがあの世に旅立った。
アントニオ猪木、79歳。
全身性アミロイドーシスという難病だった。
私は全日でジャイアント馬場とタッグを組んでいた時代からの猪木世代。
猪木には随分サプライズさせられて来た。
タイガージェット・シンの腕折り、スタン・ハンセンへの逆ラリアット、マサ斎藤との巌流島、モハメド・アリとの異種格闘技戦などなど伝説は数えたらキリが無い。
その燃える闘魂と言われた男がYouTubeでベッドの上で衰弱して行く姿を晒していた。
その姿を見せるにあたっては、心中せめぎ合いがあったと思われるが「あるがまま」の境地に至った猪木の表情は僧侶のように見えた。
猪木が何回かのYouTubeの中で語った言葉が忘れられない。(正確ではありません)
・「ありがとう」という言葉には全て含まれている。だから「ありがとう」と言う。
・世間の評価はいろいろあるが、私は自分の心の中に宝として持っている物があるから幸せである。
・人間が汚してしまった地球、そのゴミを「水プラズマ」で綺麗にしたい。
※最高2万度の熱で金属でも蒸発させてしまう技術らしい。
しかし難病で苦しんでいる男が地球のゴミをキレイにしたいと語るものなのか?
最後までサプライズさせてくれたアントニオ猪木 「ありがとう」
台風のうねりが内湾に入っていた日、強い南風がオフショアになる場所にやって来た。
いつもは波が立たないここにも時折腹〜胸ぐらいのセットがやって来ていた。
ショルダーの切れ目から乗ればロングライドが出来る感じだ。
早速海に入り、レギュラーとグーフィーの良い波を何本か乗った。
調子に乗って次の波に乗って行った時バランスを崩しコケた。
一瞬の間があり「ゴン!グシャ!」という鈍い音がして空中に飛んだロングボードが頭に落ちたのが分かった。
「やっちまった・・」と思い衝撃のあった頭部に恐る恐る手を当てた。
アレッ!? 切れているはずの頭からは血が流れていないようだ。
ボードを見たらノーズから少し下のレールが20cmほどバックリ割れ髪の毛がめり込んでいた。
その後少し腫れていた頭部は痛みもじきに収まっていった。
このクラッシュを見て、このかすり傷程度で済んだ事に「また護られていた!」と感じた。
そして、想像以上に俺は石頭だったと悟ったのだった。
台風12号が過ぎたのも束の間、14号が九州にゆっくり近づこうという最中、2年ぶりにアダンの島へサーフトリップしました。
メンバーは東京の佐藤さん夫妻と。いつものシニア4人衆です。今回も重いロングボードを担いでやってきました。
今回は台風の影響で強い風をかわす場所を探して波乗りしました。
偶然、そんなポイントを見つけてサーフィンするのもサーフトリップの醍醐味ですね。
今までいろんな旅をして来ましたがいつもフライトスケジュールは順調でしたが、大型の台風が近づいて来てホテルの5泊目をキャンセルし飛行機を1日早い便に変更と良い経験をさせてもらいました。
いつも思いますが60代半ばでこうやってサーフトリップに来れる事に感謝です・・
佐倉市立美術館で開催されている「安西水丸展」を充分楽しんだ後、同じ佐倉市にある川村記念美術館に向かいました。
せっかく佐倉市まで来たので現代美術のコレクションで名高い川村記念美術館に寄らないわけには行きませんから。
ちょうどお昼だったので美術館のイタリアンレストランでランチをいただきました。
ひとつひとつが丁寧で美味しく充実した食事でした。
展示は私の好きなサイ・トゥオンブリー、マーク・ロスコ(ロスコの部屋がある)などの他にさらに巨大な抽象表現ペインティングがずらっと並び圧巻でした。
そんな大作を過ぎたところに心惹かれる作品が二つ並んでおりました。
そして、その二つとも物凄く小さかったんです。
一つはブランクーシの「眠れるミューズ」ツルンと研磨された金色の頭部の彫刻は何とも言えぬ表情でコロンと置かれていました。
もう一つは「箱シリーズ」で知られるコーネルの「青く塗られた青の中に」
実際みるとこのブルーが目に染みてくるようなノスタルジックなブルーなんです。
大作の中で出会った小さな作品に心惹かれるところがアートの面白さでもあります。
お久しぶりです。
気がつけば9月に入りましたが皆さんはどんな2022年の夏をお過ごしでしたか?
私は県民割りを使い千葉北、茨城にプチサーフトリップに何回か行きました。
今回佐倉市立美術館で開催されている「安西水丸展」にも九十九里に前泊しサーフィン、二日目に伺いましたが県民割りはお得なのでなるべく長ーく続けて欲しいものです。笑
さて、安西水丸展ですが想像以上に素晴らしくその作品ばかりでなく水丸さんの人となり、暮らしぶりまでをも網羅されていました。
これは水丸ファンにとっては凄く興味深いものです。これ「全水丸辞典」的展覧会とも言えるのでは・・
放浪の哲学者のエリック・ホッファーも言っています「成熟するとは5歳の子供の真剣な遊び心を取り戻すこと」だって。
夏に山下達郎を聴くと「悲しみのJODY」が流れていたあの夏を想い出す。
山下達郎の新譜がイイ!とホマレさんがインスタで紹介していたのでレコードを購入した。
最近はCDとレコードが出ていたらレコードの方を買う。
音もジャケットもレコードの方が自分好みだから。
避暑地に吹く涼風のような達郎の爽やかで透明感のある歌声とメロディーが心地良い。
往年の名曲をオーバーラップさせるアレンジがあるのも私には嬉しい。
この肖像画を描いた人が気になったので検索したらヤマザキマリさん(テルマエロマエの作者)が描いたと知って更に感動!
数年前に達郎さんから「あなたは本来画家なのだから」と肖像画の依頼を受けたヤマザキさん。イタリアでは油絵と美術史を専攻し肖像画を学んでいたキャリアを持っていたのですね。
「諸々の課題と対峙し乗り越えようとする意志のあるうちは、現役を続けられると思っています」と来年70歳になる達郎さんは何かの取材でコメントしていた。読んだこちらもエールをもらった気分になった。